昭和の農業は家族型の農業がひとつの規模の基準でした。

我が家もいろいろな変化がありましたので

その範囲内で行っていました。どうしても不足しているときは

近所の高齢者をアルバイトで来てもらいました。

父は母がいなくなってから約10年間やはり高齢者を雇っていました。

当然、父も高齢者でしたので適正規模にしていました。

10年後突然他界してしましましたので私が事後処理を行いました。

その10年間を見ると果樹が中心で桃、梨、梅をやっていました。

時々聞かれたのがキュイフルーツでした。

最近はマスカットなど高級フルーツが増えているようですが

そういう話題はありませんでした。

また、観光農園を目指してしるようでしたので

ビジネスの話しも時々していました。

多分、1年の内で8か月位の農業だったと思います。

自分でできる範囲と言っていた記憶があります。

また、父にはもう一つ仕事がありましたのでそちらをやっていました。

晩年、その結果が再び開花していました。

私と父が話したことはだいたい正確に当てていることに気が付きました。

そう思うと父は晩年一人住まいでしたが幸せだったと思います。

私はHR業界を25年歩んで来たので業界の歩みとクライアントである大手企業

のHR政策を見て来たつもりです。

確かに労働人口は減っているので自動化できるところすべきだと思います。

またこれだけ技術が進んだのでこれを使わない手はありません。

ヒトと技術のバランスをどう取ったら日本農業は前に進むことができるか。

次回は農業担い手の外国人問題をリンクしながら考えて行こうと思います。