"何も飾られていない壁が教えてくれた事"

中学生や高校生の時の授業の内容はスッカリ忘れてしまうのに、失恋した時の瞬間や、試合で負けた後の夕日の綺麗さや、先生に叱られた後の友達との会話など、何故ずっと忘れないのでしょう。その時に、心の動く"何か"があったからでしょう。

自分の30代は何回心が動く瞬間があったでしょうか。僕にとって30代は、フルタイムアーティストとして"若手"という枕言葉がとれて、本当の腕が試されだす時で、周りの同級生は、結婚し家を建てて子供を育てていたり、安定した職について、それなりに部下を抱えて責任ある立場になり始めている中で、自分は食べていくだけで精一杯、貯金を食い潰して社会になんの貢献もできていなく不甲斐なく思う自分がいました。そんな中、とある展覧会で僕の作品がこの伝統ある百貨店のショーウィンドウには相応しくないというご意見が寄せられて一時的に下げざる追えない事がありました。自分は、議論したり抵抗したりが周りに迷惑ばかり掛けて余り意味がないと思う方なので、そのまま言い訳せず素直に作品を下げるのを許可した訳なのですが、その夜、何気なく、気になって様子を現場に見に行ったんです。夜中だったのですが、自分の担当のショーウィンドウの前に30名位の人集りが出来ていて皆が携帯カメラでガラスの中を撮っていたのでした。中に作品はなく白い空間があるだけなのですが、事情を知った人達が集まって来て中には、何も飾られていない壁を見て動かない人もいらっしゃったように記憶しています。その展覧会イベントには、僕だけではなく世界で既に活躍しているスター作家さんも参加しているにも関わらず、
作品がない。"何も飾られていない僕の壁"だけに多く人が何かを眺め想像して立っていました。SNSで事情を聞きつけた方々が各々集まっていたのでした。
僕はその時、確かに心が動いて、人は作品を見ているのではなく、作品という"窓"ごしにその向こうに映る風景をみてるんだ。目に見えないモノこそ意識するのが一番大事なのかもと感じたのでした。
その後、相当数の作品を飾ってあげて欲しいというお客様からのご意見お手紙がカスタマーに寄せられたそうで無事戻される事になりました。今日から丁度10年前の話です。

"視覚芸術だからこそ目に見えない部分、数字で測れないモノを大切に。"

そんな事を考え続けたあっという間の30代でした。

40代も何気ない事を大事に感謝しながら感動しながら生きていきたいな。
明日から僕も福岡入りです。10月28日、29日に会場の博多大丸天神店に居ますので、是非、多くの方にお会い出来たら幸いです。心からお待ちしております。