樹霊/司馬 遼太郎
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【木のことば 3】

 境内に、樹齢千数百年という、とほうもなく雄大な樹相をもった樟(くす)が、二もとある。空海自身の文章に、自分のうまれた土地を表現して、
「玉薄帰(よ)る所の島、○樟(くす)日を蔽(かく)すの浦」
 と、いっている。その同じ楠ではないにしても、空海の誕生を当然見たはずの樟がわずか二樹でもって森をなし、いまなお日を蔽っているのを見て、私は遠い世のこの人物について何事か書けるかもしれないという自信をすこし得た。樹の生命がもつ無言の伝承力というべきものだろうが、そのときふと、人間だけがこの世の主人公でいるということの愚かな錯覚から、自分がすこし抜け出せたのではないかという感慨ももった。

「善通寺のクスノキ―司馬遼太郎」より抜粋。 
『樹霊』人文書院刊

クスノキが立つ場所:総本山善通寺 (香川県)