記事は適宜追記・訂正しています。
2022.1 写真など追加
2023.7 コメント受けて一部訂正




前書き:1970-1980年代、私は幼少期から高校卒業までを北九州西部で過ごしました。その中にある折尾地区。古くは要衝とされ、中心部を江戸に作られた堀川運河が流れ、鉄道が交差してます。明治以降は西の遠賀川一帯から算出される石炭でも賑わい、昔から続く小さな商店や民家が所狭しと立ち並んでました。

また折尾は北九州の西の玄関にあたり、人や車の往来が激しく、学校が集中する学生街でもあります。かつてそこには祖父母宅があり、私は小さな頃から行き来してました。また高校時は通学で毎日訪れてました。

記憶もおぼろげで写真も少ないのですが、ネットの力も借りて、私なりに過去の折尾を振り返ります。よろしければお付き合い下さい。



▼折尾新市場

折尾新市場へは駅東口のロータリーから南側の段差のある道路を進み(建物や道路などは構造物は黒ずんでる)、暗くて更に黒ずみまくってる鹿児島本線ガード下をくぐった先、堀川北岸沿いに曲がるとたどり着きます。

▽今はこんな感じ。ガード下の奥が旧駅前ロータリー、右奥遠くに折尾駅。跡形もありません笑

折尾新市場だけでなく、ロータリーや、ガードをくぐった先の道路脇や、堀川北岸沿いには、昭和30年代から続く古い商店が所狭しと並んでおり、歩道まではみ出した商品やら、ゴミやらで、とにかくごっちゃごちゃだったことが強烈に記憶に刻まれてます。

またパチンコ店も多くて、タバコの吸殻ポイ捨てが当たり前の時代。そこらじゅうに吸殻が落ちてました。この時代は、子どもたちもお父さんと一緒に副流煙を吸いながら成長してましたね。


折尾新市場の中はあまりよく覚えてないけど、たくさんお店があって、天井は高いけど薄暗かった印象が残ってます。まだ幼かった私はカートをひく婆ちゃんと一緒に何度も買い物に行ってました。

1980年代になると駅東口のロータリーが整備され、丸和ができましたが、その後も新市場あたりはまだごっちゃごちゃで、それが何だか懐かしくて、たまに行ってました。(今思えば雰囲気が小5まで住んでた鉄竜そばの相生町マルゼンストアと被ります)

残念ながら当時の写真は残ってませんが、2022.1.3にこのあたりを散策した際、新市場を少し撮影できました。

▽先のガード下から左方向、堀川沿いにいくとすぐに折尾新市場です。看板、退色し過ぎ笑

▽残念ながらシャッター閉まってましたが、裏にまわると、なんとたまたま魚屋さんの大将が店に来てまして、少しだけ撮影させて頂けました。クソ忙しいのに変な人が来てすみません。そしてありがとうございます。



▽魚屋さんしか来てないので、入口のシャッターは半開きのまま。表にトラックの荷台見えます。

▽再び堀川沿いへ

▽昔この辺の川沿いは、ほんとゴミや商品や買い物客でゴチャゴチャに溢れかえってました。
オレンジのヒサシはお肉屋さん。
→昔、駄菓子屋とタバコ屋さんがあったそうです。このあたりからも折尾幼稚園に向かって細い1メートルくらいの橋がかかっていました。(航空写真でも確認できます)


▽一階部分がオープンな建屋がありました。

▽かなり年季が入ってます。



→リフォームして大事に再利用ですかね。


ここの道沿いを流れる堀川は、このまま東進して洞海湾へ流れ込んでます。当時は公害が社会問題としてクローズアップされており、まだ堀川もゴミだらけで大変汚かったです。

▼北九州市ホームページより


八幡製鐵のところの写真が掲載されてますが、ホント凄すぎ。まだ日本もそういう時代でした。

▼折尾新市場がある区画のから西側エリアにも古い建屋がごちゃごちゃと密集してました。
若松へ続く線路よりも学園大通り側。その区画に2階?にゲームセンターになってるところがあって、近くにはお好み焼きなにわ?もありました。

高校時代、サッカー部の連中とこのあたりで夕食を一緒にするときは、ゲームセンターで『怒』っていうゲームをよくやってました。中古のゲーム機なのか、一回20円のお値打ちな料金設定。戦地を二人で協力しながら前に進んでいくヤツ。

そしてなんでか分からないけど、記憶に残ってるのは、その後お好み焼きを食ってる絵(お好み焼き『なにわ』)。モスバーガーのが旨いと思うんだけどなぁ

→ 頂いたコメントで分かったんですが、ゲームセンターの細かい場所とか名前とか忘れてたけど、駅北側白石書店の隣のビルの二階と三階、『ターボ』というところです(聞いたら思い出しますね)。中古ゲーム機を扱う激安ゲームセンターでした。

→ お好み焼き屋は、モスバーガーの2階でした(2023.7訂正)。駅ロータリーを出て突き当りを左へ進み、踏み切り渡ってすぐ(折尾駅寄り歩道沿い)にもお好み焼き屋さんがありましたが、そちらは『オレンジ亭』。後年はどんどん亭だそうです。

高須に住んでいた頃行ってた水巻ダイエーアピロスにも入ってて、そこでもよくお好み焼き食べてました。
(そういえばチーズトッピングのヤツの名前がレディース焼きだったのは『なにわ』かな?。いつもそればっか頼んでて、頼むときに「俺、レディじゃないんだけど…」っていつも思ってた笑)

以上、私の断片的でボケボケな記憶から捻り出した内容+αです。



折尾駅北部の地図/2022.11追記
記事を書いてから1年ちょっとが経過。当時の地図を入手できたので、以下に追記します。1970年と1980年のものです。

1970年の地図はなぜか南北逆転してるので、ちょっと分かりにくいですけど、航空写真も地図にあわせて南北逆転させながら掲載してます。

▼駅北部 映画館/マルキョウまわり

▼1970 マルキョウはまだ映画館。
→下の方に西鉄バスの待合所。

▽南北を戻して

▽1980 映画館はマルキョウに。二階に、まるふじ(衣料品店)
マルキョウのとなりのぐちゃぐちゃは折尾中央市場だったんですね。その下、私の部屋、喫茶店?
この一帯全てが店舗。かつての折尾の賑わいぶりが地図からも伝わってくる感じ。


▼続いてマルキョウから線路を挟んで西側のエリア(南北逆転)

▽1970 所狭しと店舗や住居がひしめき合ってますね。

▽南北を戻して

▽1980 折尾ひわさって何だろう。。と思ったら貸金なのね。1970にクレジットひわさとある。。右下のまりちゃんも何か気になる。
フルフルの左隣(枠外)が白石書店です。


▼続いて折尾新市場付近(南北逆転)

▽1970 新市場の中は字が潰れて読めない店舗も笑
折尾新市場隣の折尾スーパーもなんか覚えてます。福銀は長らくココですよね。原ビルの一階、寿マーケット?は別記されてますね。

▽南北を戻して

▽1980 八幡信用金庫も、さかえ屋もあります。通りの一本裏には富士乃湯。
折尾新市場の店舗名も辛うじて読めるかな?

▽最後に折尾新市場の東側エリア(南北逆転)

▽1970 このあたりは稚すぎて個人店舗名は全く記憶にございません笑
(1980は割愛)

駅北側だけでも本当に色んなお店があります。後日アップしますが南側もお店満載。折尾は他に類を見ないほどに駅前がごっちゃごちゃだったけど、きっと当時は便利で賑やかで楽しい町だったんでしょうね。当時幼かった私にとっては単にごっちゃごちゃなだけでしたけど笑


▼そして現在。まだ折尾新市場はつづいてます。
※航空写真のほうには丸和がまだ残ってますね。


▼以下余談です。

そんな折尾新市場で必ず思い出す、爺さんとの思い出が一つあります。

祖父母宅に行ってたある日のこと(婆さんは既にお空へ)、爺さんが珍しく僕たち兄弟にお遣いを頼んできました。

忘れちゃいけないからと、爺さんが買うものを一文字ずつ声に出しながらメモに書き始めたので、何を買ってくればいいのか、僕たちは爺さんのそばでメモを見ながら聞いてました。

すると、

バー





(お、やっぱりバナナ大好きね)





ラー





(あ、違った。肉だった)





ナーwwwww




えっ!?



エエェーwww



バラナwwwww


腹がよじれたw

爺さん生まれて七十年余。
ずーーーーーーーーーーーーーーーーっと、
バナナじゃなくて、バラナだった!

ウソでしょw
爺さん、自分でもビックリw

あんとき間違いに気づかなかったら、爺さん天国で大好きなバナナにありつけなかったかも。あるいは地獄に堕ちてバナナにありつけなかったとしても化けて出るのはヤメましょうね。
(折尾の祖父母宅に泊まったある日の夜中。弟と二階の窓から見た青い火の玉。あれは本当に夢とか幻だったのかなぁ?)


以下、他のサイトや記事です。

▽あずさゆみさんの記事にも映画館など昔の折尾がたくさん掲載されてます。




つづく