【前書き】
北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。

私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。


※この記事は2020.6に書いたオリジナルを一部更新したものです。



社宅群のそばには大きな独身寮もあった。そこに住んでいた新日鉄社員やその家族、周辺住民の皆が通った社宅併設スーパーの名は、テツビル(現スピナ)。


物心ついたときからそこにあって、なんの疑問も持ちませんでした。父も祖父も叔父も製鉄マン。街の名前、スーパーの名前。秋には街を挙げての新日鉄起業祭。市内には新日鉄専用のレールまで敷設されてます。


鉄竜社宅が登場する昔の映画「この天の虹」の予告編のフレーズの言い草じゃないですけど、ほんと鉄・鉄・鉄って感じでした。予告編しか観たことないんですケドね。いつか観てみようと思いながら早数年w


テツビルは北九州市内のあちこちにあった八幡製鉄所社宅群近くに併設されている身近なスーパーです。我が家最寄りのテツビルは、鉄竜・鉄王の境界、商業施設が集まる交差点にありました。

元々は八幡製鐵所で生まれた系列企業で、その昔、社員専用で「購買会」と呼ばれており、当時を知る人やそのご家族はテツビルに変わってからも購買会と呼んでました。祖父も製鉄所勤務でしたからそう呼びます。


その理由に疑問をもち、その謎が解決するまで、幼かった私の中ではテツビルは、テツビルでしたが、コウバイカイでもありました。


父方の祖父母が戸畑区の中原住みでだったのですが、そこにも新中原駅前(現 九州工大前駅)にテツビルがありました。あと、その近くだと一枝にもありました。


祖父母は、待望の?長男として生まれた僕を、大変可愛がってくれました。幼少時に弟が大病を患い、小学校にあがる前、結構祖父母宅に預けられていました。とても優しい祖母に手を連れられて、よく三六の商店街や新中原駅前のテツビルに行ってたのを今でもよく覚えています。北九州市内には、ほんとアチコチにテツビルがありましたね。

(途中からは補助輪付きの自転車まで買ってもらって少し遠いところに出かけるようになりました。中原公園、境川公園、本村公園、多分さざんか公園の古いやつ、井堀の交通公園などなど、アチコチに連れて行ってもらっていたのを覚えてます)


テツビルはその後名前がスピナに変わり、経営母体も西鉄に移りましたが、今でも帰省したら偶に北九州名物?テツビル名物?の堅パンを買い求めに立ち寄る思い出のスーパーです。一昨年、出張で博多を訪れた際も戸畑区中原のスピナにお邪魔しました。


ちなみに個人的には、ちと甘いですけど、北九州で甘いものなら幼少期に黒崎でよく買ってもらってたシロヤの練乳たっぷりのサニーパンが一番好きなんですよね。いつも買いそびれちゃうんですけど。。


堅パンについて書かれた記事をご紹介しておきます→くろがね堅パン! 北九州名物よ♪


また長い間、記憶の片隅で今にも消えかけそうだったテツビルの包装紙をツイートしてくださった方がいましたので、紹介しておきます。

 

見つけたとき、私も思わず声が出そうになりました。


▼テツビルがまだ購買会だった頃

 


追伸