私は「どてのおやじ」です。私とパソコンとの出会いや関係などから書き始めます。

自己紹介のページ にも詳しく書いてますが私は秋葉原界隈で部品を買い集めラジオを組んだりしていたラジオ少年だったんです。それで私はパソコンには非極関心がありました。

1991年ごろの我が家にはNECのパソコン9801VMと9821FAの2台ありました。上の息子が下の息子の為に練習用に販売管理や会計ソフトなどを用意してあったらしいです。上の息子とは別居、下の息子と同居してます。私も触りたかったのですが、しかし、息子たちはパソコンに私が触れることを非常に嫌がり、私には貸しても呉れませんでした。時々息子たちの目を盗んで触ったものですから、ついにパスワードをいれロックされてしまいました。

その後2、3年のあいだに息子はパソコンを次々に買い込んでました。はじめはNECでしたが、いつのまにかIBMなど色々です。1993年頃は、しばしば息子に秋葉原へ孫をつれだって連れてゆかれました。それは孫のお守りの為です。息子はコンピ―タの部品の買い物に電気街の裏へ、私と孫は交通博物館で遊びながら彼の帰りを待っているのです。交通博物館は私が子供のころから今の場所に有った。それはそれで懐かしく孫と一緒で楽しかった。しかし我が青春の秋葉原、私も買い物に行きたかったのに孫の子守り番をさせられたわけです。



毎回幾度となく重ねてのことなので私も孫達も交通博物館が飽きてきて待ち時間をつぶす子守りが大変でした。私の孫は二人です。後で孫たちの事 も書きます。神田小川町の科学堂はもうないかもしれないが。神田須田町のカワイモデル鉄道模型店へ孫を連れて行けば喜ぶ事間違い無しなのですが、孫たちが夢中になって私の子供の時と同じに成っては困ります。勉強もせず時々学校は休むしの模型狂の私と同じわがまま童子と同じになっては困るので連れていく訳にもいかず。実は今でも私はいきたいのです。その店に川崎車輌1931年製造D50362の最終ロットのD50テンダーキットの素敵な模型があるのです。ほしいですよね。

1996年の秋 。上の息子が家を改築するので、私の家に色々と荷物を持ち込みました。その中にパソコンが3台有りました。数日後、誰も居ない時にこっそりさわったのです。それはIBMの改造機です。尻の蓋は開いてるし臓物がすこし見えました。電源を入れるとWindows95が立ち上がりました。もちろんその時はそれがウインドズ95とは知りもせずなんの知識もなかった。しかし動かせた。使えば使うほどに面白く成りました。毎日毎日楽しみが増しパソコンのAT互換機の魅力を感じた始まりでした。

なぜ、ウィンドウズ95では、今まで有ったPCより遥かに格段の面白さだったのでしよう。マウスを使って操作するからでしょう。それまではキーボードからアルファベットを入れたりFの付いたキーを押したりして操作しました。年寄りにはすごくやさしく感じた始まりです。

ところがある日、息子にやつて居るところを見られてしまった。 また怒られると思ったら、息子曰く「壊れてもよいから「いたずら」してみろよ。」とゆわれ非常に嬉しかった。それから時々操作してるうちにマウスやキーボードに慣れてきました。コンピュータを操作するのに始めに壁に成るのはマウスやキーボードの操作ではないでしょうか。若い人には苦にならない事でしょうが年配者にはつらい事です。市の主催するパソコン教室でも私と同じくらいの年配者は途中で脱落しますが、やはりマウスやキーボードの操作が面倒だからでしょう。




その数ヶ月後、1997年1月。息子がやりたければ自分でパソコンを組んで見てはと言いました。おやじなら出来るよと言います。そして何やら486マザーボードとDX2ODP66MhzのCPUとを呉れることになったのです。パソコンの知識はなのもないのですが勿論貰いました。其れがそもそもの私のパソコン自作の始まりです。

まず足りない部品を買い集める事です。早速に秋葉原へ行き、先ずは3000円のケースをプロサイドPCシヨップで買いました。これは電源が付いていませんでしたが息子の組みやすそうだというアドバイスでさっそく決めました。電源は息子に貰いました。2000円のを別にもらいました。その日は、他の部品を買う積もりで何軒かのパソコンシヨップを見て回りましたが、何を選んだ方が良いやら、何を買ったら良いやら、見当が付かず結局何も買えずに帰る始末でした。

その後見たり聞いたりを重ねパソコン雑誌を参考に調査検討をしました。 その後幾度も、「何がなんでも買って来る。」という事で買う部品を決め買い揃える積もりで秋葉原へ行きました。処がやはり無知識の上自信なき故、迷いがあり思つたとうりに買い物が出来ません。本当に清水の舞台から飛び降りるつもりで秋葉原に行ったのに結局WESTAN,DIGITALの2、5GBcaviar32500のハードデスクを一個だけ買ったのみで帰る始末です。出来る人知識のある人からから見るとなぜと思えるでしようね。知識のないことは実に情けない事と思います。

秋葉原に行きジャンク屋やラジオデパートなどを回ると私と同じ年配の方も居ます。しかしその方たちはパソコン部品の店には居ません。みなラジオ部品や真空管の店です。GT管とかサンスイの中古アンプなどを物色してました。私もラジオ部品なら品定めできます。しかしパソコン部品はそれがいったい何に使う物なのか安いのか高いのか検討も付きませんでした。

最初の内はパソコンシヨップに行っても店の邪魔になるばかりてさぞかし周りの人に迷惑を掛けたのでわと悔やむ有り様です。ラジオ少年だった昔を思い、勝手知り足る秋葉原の訳ですが、勉強不足の為昔のラジオ狂の学生には戻れなかった。ラジオの部品なら今でも値踏みする事が出来るのですが。秋葉原でも私と同じくらいの年配者はみなラジオ部品の店に居ます。パソコン部品の店では見かけません。私は速くパソコン部品が分かるように成りたいとおもいます。でもいま思い返すとパソコン初心者は誰でもそうなのではないでしょうか。偉そうに講釈する息子もさいしゃはそうだったようですそうっだったらしいです。

さてさて、其れからが大変でした。見当も付かない事を試みる訳ですから其れからの苦しみは当分続きました。その後、部品もやや揃い、段々と部品の役目なども分かりはじめると目鼻が付きしだいに面白く成りました。又、秋葉原に行く事が楽しみに成りました。買い物も結講要領良く買い漁り歩ける様になりました。息子からパソコンの部品買い代行まで頼まれる事もありました。とても嬉しい気持ちでした。同年配者がラジオ部品店に行くのに私はパソコン部品を買いに行くので優越感を少し感じました。

デスプレーは17インチにしろと息子からアドバイスされました。小さいデスプレーでは年配者は目が悪いのでだめだろうというわけです。そこでソニーの17インチデスプレイSF9にしました。これは秋葉原のいT-ZONEアウトレット店(ガード下の店)で68000円で買いました。プリンターは印刷できれば何でもいいからといわれました。これは年寄りの私は印刷の機会や枚数が少ないからだそうです。キャノンのプリンターBJC-210jにしました。これはソフマップという店で19600円で買いました。息子は100円や200円の値段の違いにこだわりませんでしたが、私は100円でも安い店を探して歩き回りました。昔はどんな部品を買うときでも秋葉原ではそうした物です。だれも値引き交渉をしていないのに驚きした。



息子から貰った部品、自分で買った部品と組み立てに必要な部品はほぼ揃いました。全てが間に合うだけになり出来上がりが楽しみでした。組み立てにはソフトバンク(株)の「IBM-PC/AT互換機ガイドブツク」が何よりの参考書で難しいけれども頼りになりました。組み立てが成功したのは、此れは参考書の御蔭です。今でも分からないと何回も読み、分かる迄読む様にして居ます。でも分からない時の方が多い様ですが頼りにしています。然し英語力と忍耐が心要とされる事は確かです。

手探りで仮組み立てを開始しましたが、細かいところで「分からない。」が多々ありました。しかし数日でテストが出来る迄に完成致しました。此れまでに感じた事はケースの中に分からない小物、ネジ類が沢山ありました。、ボード類のマニアルが入つて無かつたっり、然も日本版で無い場合が多く戸惑いと不安を加えて一層分から

パソコンとの付き合いは結構長い。初めて手に触れたのは何年前だろう。NEC
のPC6001という機種があって愛称を『パピコン』と言った。ケーム機の機能も
ありROMカセットを差し込んでテニスゲームなどを楽しめた。テニスゲームとい
っても豆粒のような人影がチョコチョコと動くだけの他愛のないものだが実に感
動的であった。キーボードから音が出て演奏が出来た。それでパピコンの愛称
がついた訳だが当時としては頭の柔軟な製品だったと思う。メモリーは16KBだ
ったと記憶するが、これからのパーソナルコンピュータのあり方の一つとしてエン
タテイメントを指向した名機だった。

次に手に入れたのはシャープのX-68000というマニア向けの悲劇の迷機。
当時、NECのPC9801が全盛で皆がこぞってBASICの勉強をしていた時代
である。私はアップル社のマッキントッシュに惚れた。マンマシンインターフェイ
スが素晴らしく、憧れの機種となった。しかし残念ながらモノクロ画面である。
それに英語オンリーだし、高価だ。そこで思い悩んだ末、マックの偉大なる追
随者、X-68000を購入してしまった。メモリーが何と1MBである。目がクラ
クラするほどの大きさだ。マシンのスペックは素晴らしかったが如何せん肝心
のソフトがなかった。失望をして、半年ほどで使うのを止めてしまった。これで
パソコンへの想いが急速に萎えていった。因みにこの中古機を処分して34イ
ンチのTVに替えた。それ程の金額を投資した失敗の巻だった。

                    ◆ ◆ ◆

その後、私は会社のパソコン導入チームの一員になった。富士通のF9450と
いうのが導入機に決まった。IBMの5550に対抗して富士通が急遽送り出し
た技術系ミニコンのような面白い機械だった。フォアとバックの2JOBがワンタ
ッチで切り替えられた。ソフトは当時流行りだした表計算のエポカルクを始めと
したEPOCファミリー。これはなかなか良く出来ていた。私も講師となって支店
回りを行った。そうこうしている内に、アメリカのPCフェアを見て来いという業務
命令が下った。