縄文時代から共同体が発展して、村という集団が進展してきて、現在ではグループという様々な人間ネットワークの集団が形成されている。このなかで、重要な要素は、リーダー・共通の利益確保・日本独特の義理であろう。

 このグループなるものを中心に、事実上の次期総裁が選ばれるわけであるが、義理なるものが強力に作用するのが日本の様々な選挙である。グループというと現代的なドライな駆け引きが想像されるが、まさに村社会のもつ独特の人間関係が重要となっている。一言でいえば、日本の社会は、いいもわるいも江戸時代の村社会といえる。

 村を政治的な構造でみるならば、欧米と違っているのは、戦略のなさであろう。心情的なつながりばかりでは、有力な戦略である政策はうまれてこない。やはり、重要な要素であるリーダーの能力こそ、今後の日本には必要といえるだろう。

 このリーダーの能力が不足しているからこそ、官僚とか学者の言いなりになってしまう政治家が多い。アメリカにみられるようなシンクタンクに頼るのも一案である。ある意味、仲間の有能な者が提案した政策・戦略を政治家が自分の意見として代弁するだけでいいのである。

 今回の自民党総裁選は、危機的な世界情勢からみて、義理よりもリーダーの戦略能力に集まってくる議員たちの村の戦いとならなければならない。