北海道ツーリング顛末記(その6)/辺鄙な場所からの脱出を図る | 直球オヤジの自由奔走生活

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座右の銘は「"行きたい"、"やりたい"、"欲しい"と思った時が"その時"」。55歳で早期退職し、高齢者と呼ばれるまでの今が"その時"。趣味のバイクや自転車は年齢的に待ったなし。エコノミーな生活で趣味を楽しむ。これをどう追い求めるかが、このブログのメインテーマです。

ボロボロの体を引きずりながら、ようやくその日の宿に到着できたが、部屋に入ったもののしばし動けなくなってしまった。さあ、これからどうする。無傷で済んだ頭をフル回転させ、バイク、荷物、そして自分の体の処遇を考えた。

とにかく体中が痛い。部屋には入ったものの、三和土(たたき)のある間の壁にもたれてヘタリ込み、
動けなくなってしまった。どれだけそんな時間を過ごしたか。いつまでこうしていても始まらない。事故当時着ていたカッパはズタズタに破れていた。まずはこれを脱ぐ。そしてブーツを脱ぐ。たったこれだけのことなのに、痛みで思うように姿勢が変えられない。カッパの下に履いていたズボンを脱ごうとしたら、これも大きく破れていた。惨憺たる苦労の末にズボンを脱ぐと、両膝近くが大きく擦りむけていた。膝のお皿はプロテクターが保護してくれたが、そこからほんの少しずれた部分は傷を負っている。しかし、擦過傷なんか他の痛みに比べれば取るに足らないものだった。

ツーリングの出で立ちをはぎ取るために、どれだけの時間を要したことか。こんな状況だから時間が掛かるのは致し方ないが、姿勢を少し変えようとするだけで尋常ではない痛みを伴う。それでもなんとか普段着に近い姿になると、少し落ち着けた。そこで初めてカミさんに電話をし、ことの次第を告げた。もう何十年も事故や転倒を起こしてなかったので、カミさんは大そう驚いたが、命に別条は無いと伝えると冷静になった。こうしてひと段落すると、これからの算段を考える。やることは大きく分けて3つ。

 ① 傷んだ
バイクをどう移動させるか
 ➁ 不要な
荷物をどう処理するか
 ➂
自分自身の体を地元の静岡までどうやって移動させるか

①と➁は何とかなる。バイクは
ロードサービスを頼めばいい。➁は宅急便を使おう。問題は➂だ。今いる場所は北海道の中でも特に過疎化が進んでいる道北に位置し、山間部ということもありかなり交通が不便な場所。ここからどうやって静岡へ帰るか。それも痛い体で。

夕食の時間になった。
料金が安い和室を予約したことを悔やんだ。畳に敷かれた布団から立ち上がる動作が至極大変なのだ。ベッドだったらもう少し楽だったはず。起き上がるだけでも、それは決死の覚悟。しかし、起き上がらなければ夕食だけでなくトイレにもいけないし、何もできない。でも、立つことさえできれば、ゆっくりだが歩けるのは幸いだったし、右手は全く問題無い。そうして意を決して食堂に行ったのに、腹は空いているはずなのに食欲が全く無く、用意された食事の1/3程しか食べられなかった。配膳係の方も通常の1.5倍程に腫れあがった私の左手を見て、すぐに事態を理解してくれたようだった。こうして早々に食堂を跡にした後は温泉!とはならない。温泉なんか入れないし、気力もその気も全く無い。

再び部屋に戻り、布団に横たわりながら
帰還策を模索する。その合間に家族や友人らに今回の事故の一報を入れると、病院に直行することを勧められるコメントばかり。確かに痛い。それこそどこもかしこも。でもそれだけだった。吐き気がするとか、手足が痺れるとか、一歩も動けないという症状は無く、今後それが起こるような感じもなかった。それに、こんな不便な場所から医者にどうやって行ったいいのか。入院となったら、それこそどうなるのか。だから、その選択肢は全く考えなかった。

考えはまとまらず、作業は何も進んでいなかったが。時間だけは経過し、館内は夜の静けさになっていた。
地元の人に相談してみよう、情報を集めようと思い、布団から起き上がりフロントへ向かった。フロントには当直の方と警備会社の方だけがいた。ことの顛末を話すと、鹿の被害は衆知のことであり、いたく同情してくれた。バンドエイドや湿布も頂いた。「具合が急変するようなことが起きたら、すいませんがよろしくお願いします」と申し出ると、こころよく親身になって応えてくれた。そこで病院や移動のことも聞いてみた。

ここは道北の内陸部の小さな町、歌登町。ここから救急搬送されると町内に大きな病院は無いので、
20km以上離れたオホーツク海沿岸の枝幸(えさし)町に運ばれるという。この町の人口は2000人少々。そんな小さな町から公共交通機関で移動するにはどうしたらいいのか。このホテルの場所は市街地から10km程の山あいにあり、町までタクシーで行くしか手は無い。町の中心にはバス停があり、旭川や札幌行きの長距離バス路線がある。但し、その便数は一日一本。時間は朝。動かない体で全ての残務を明朝までに処理し、早朝のバスに飛び乗るなんてほぼ無理。そうなると、ここにもう一泊しなければならないかぁ。痛い体と伴に。トホホ・・・。

移動のことはひとまず置いといて、簡単な懸案項目から処理することにした。フロントの方に大きな段ボールを用意してもらった。
要らない荷物を宅急便で送ってしまおう。多くの荷物が散乱している部屋を片づけた上で、バイクや自分自身の移動を考えよう。大きな段ボール箱を苦労して部屋に持ち帰り、着替えや洗面用具、貴重品など最小限の荷物を手元に残し、ヘルメットやブーツ、プロテクター、バイクウェアなどを無造作に段ボール箱に詰め込んでいく。この程度の作業なのに、ちょっと姿勢を変えようとすると七転八倒するほどの痛みが走るので、這いつくばったり、いざったりしながら進める。こうして荷物をスッキリさせると頭の中も少し整った

次はバイク移送の検討だ。いわゆる自動車(バイク)の任意保険には
ロードサービスが付帯されている。これを使おう。しかし、こんな条件が悪い土地でもレスキュー可能なのか。私が加入している保険会社に問い合わせてみた。すると100kmまで無料で運んでくれることがわかった。100kmを超えた分は1kmあたり440円。決して法外な設定ではない。私のバイクは全国展開している「レッドバロン」というチェーンショップで購入した物で、ここから最も近い店が旭川にある。そこまで約150km。超過分の約50kmは有料(2万数千円)となるが、その程度の出費はやむを得ない。その後、レッカー車の手配が出来たという連絡があった。そこでもう一つお願いをした。そのレッカー車に私も同乗させてもらえないかと。すると、「それは規則上できない」と断られた。ロードサービスのサービス項目の一つに、移動の足を失ったことによる交通費補助が2万円まで出る。その費用で何とかしてというつれない返事。残念だ。


傷だらけのバイク

これをロードサービスで移送してもらう

 

しかしその後、福音がもたらされた。ロードサービスとやり取りを何度かしている内に、今私がいる場所がいかに不便な所であるかを理解してくれ、「今回の場合、特別にレッカー車への同乗を認めます。公共交通機関がある最寄りの場所まで乗られて結構です」と言ってくれた。イレギュラー対応とのことなので、ここではこの保険会社の名は出さないが、これは大きな朗報だった。これにより、明日の昼過ぎまでに旭川まで乗せていってもらえれば、その後はJRや飛行機を乗り継いで、その日の夜遅く静岡へ到着できる。乗り継ぎ回数は多いが、ようやく帰還ルートが繋がった

こうやって書くとトントン拍子に進んだかのように受け取られるかもしれないが、様々なことを考え、保険会社やバイク店とやりとりをし、そしてどうやって痛みを克服したかなど、ここに書き切れないことは数多くある。孤軍奮闘しながらも周囲の助けも借り、動かない体をおしてコトを進め、翌日の昼前までに荷物の整理、航空便の予約などを済ませ、ロードサービスを待った。そして、昨夜より痛みが増した体を携えての大移動が始まった。さあ、
おうちに帰ろう