汗と涙と笑いの大道芸 | 直球オヤジの自由奔走生活

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座右の銘は「"行きたい"、"やりたい"、"欲しい"と思った時が"その時"」。55歳で早期退職し、高齢者と呼ばれるまでの今が"その時"。趣味のバイクや自転車は年齢的に待ったなし。エコノミーな生活で趣味を楽しむ。これをどう追い求めるかが、このブログのメインテーマです。

私の住む町では、昨日まで大道芸で賑わっていた。私もそれを大いに楽しんだ。大道芸の何が良いのか。この私に何がそうさせているのだろう。

私の普段の言動や嗜好からしたら、大道芸なんて全くお呼びでないように感じられるらしく、友人らに驚かれることがある。大勢の人でごった返す
大イベントが嫌い。誰もが注目するオリンピックやワールドカップなどにも目もくれず。そんな天の邪鬼な私の住む町で開催される「大道芸ワールドカップin静岡」には、今年は4日間で120万人近い人が押し寄せた。今年で30回目で、コロナ禍では中止や縮小開催となり、大規模で本格的な開催は4年ぶり。だから町中、人・人・人。しかし、このイベントだけは私の嗜好パターンの例外で、この人の波に飲み込まれて行く。

テレビのバラエティ番組では、スタジオのひな壇に並んだタレントが、どうでもいいことを大声でわめいている光景を見せられるが、あれが大嫌い。大道芸だって、似た寄ったかではないか?いやいや全く違う。大道芸は生身の人間が
体を張った芸で勝負している。もちろん大道芸においてもトークは重要だが、たゆまぬ練習を繰り返し、体を鍛えて成し遂げる芸は種も仕掛けも無い(マジック(手品)は除く)。決してメジャーになりえず、テレビでもてはやされることも殆ど無いマイナーな世界なのに、そこに賭けるひた向きさに惹かれる。

今回も驚きの芸を何度も堪能した。その中でも特筆する芸に「アクロバット」という類の大道芸がある。簡単に言えば、逆立ちなどがそれにあたる。しかし、大道芸では単なる逆立ちではもちろん終わらない。下の写真がその典型。大きな台の上に瓶(びん)を4本立て、その上に椅子を置く、更に椅子を逆さにして積み上げて行く。それを何度も繰り返し、最後の椅子は斜めに置き、そしてその最上部でワンハンドでバランスを取る。何とも恐ろしい。



 「張海輪」(中国)の椅子積み
 

一番下の椅子の土台は瓶

 

翌日、それを上回る芸を見た。大きな台の上に、2本の細いポールを立てる。それを次々と繋ぎ合わせていく。その2本のポールはそれぞれ単独で立っていて、梯子のように繋がれていないし、細いから多少しなる。その上で倒立するのだ。もう十分高く、「これで終わりか」と思ったら、更にポールを伸ばしていく。「ヒャー!もう、やめてくれぇ!」と思ってしまうほどの高さで、確実に10m以上ある。風も少し吹いてきた。観客全員固唾を飲む。そして最後にその最上部で倒立。満場拍手喝采だ。思わず涙が出てしまうほどだった。


「アスタリスクノヴァ」(日本)のアクロバット

2本のポールはそれぞれ単独で立っているので剛性が無く、しなる

 

前述の2つの芸では命綱も保護マットも無い。用具は専用の物であろうが、種も仕掛けも無く、芸人の肉体と精神力だけが頼り。屋外だから風も吹く。彼らはプロだから失敗は少ないだろうが、絶対に失敗しないという保証は無い。失敗したら大けが必至。大道芸にはこの他、火を扱う芸もあるし、高さ3m以上もある一輪車に乗る芸もある。どれも失敗すれば一大事。


「油井ジョージ ワンマンバンド」(日本)

ギターを弾きながら、ハーモニカ、ドラム、シンバルなどを操る

 

近年、やたらと「安全・安心」が叫ばれる世の中になった。そんな世相をあざ笑うように、大道芸人は危険なことに挑み、観客はそれをハラハラドキドキしながら見つめ、楽しむ。冷静に考えれば、それは何ともおかしな世界だ。日常生活で「安全・安心」に反することがあれば、忌避し非難し大バッシングするのに、その善良なる市民が大道芸人に「安全・安心」とは対極のことを求めるなんて、それは矛盾してないか?観客が最後に支払う「投げ銭」は「危険手当」なのか。



「めりこ」(日本)の
ポールダンス

重力に逆らう演技は想像より遥かにきついだろう

 

人間とは何ともおかしなものだとつくづく思う。日常生活では「安全・安心」を求めながらも、こういう危険な技に拍手喝采をする。それは決して大道芸だけでのことではなく、ボクシングに代表される格闘技の世界や、モータースポーツの世界も危険と隣り合わせで、観客は悲劇を期待はしていないが、最悪の事態を承知して楽しんでいる。まあ、私の一番の趣味のバイクツーリングも同じだね。バイクは転倒するが、転倒させずに速くスムーズに走らせることに面白みや満足感があり、ある程度のリスクを承知で楽しんでいる。もし技術の進歩で絶対に転倒しないバイクというものが出来たとしても、それはバイクの魅力半減で、そんなバイクが世に出ても主流にはならないだろう。先の大道芸でも、命綱や保護マットが装備されたら面白みはかなり減退してしまうだろう。大道芸を見ながら、そんな矛盾をはらんだ人間という生き物の不思議な特性を感じる。



「Ray麗」(日本)の
バルーンアートの妙技

 

この大会では多くの人が押し寄せるが、大道芸は所詮はマイナーな世界。どんなに大技を決めても、名声や栄誉や大金を得られる訳でも無い。それなのに、自分が好きで得意なことに血道をあげて練習し鍛錬し、たまたまそこに居合わせて集まって来た観客を魅了させようとする大道芸人らにエールを送りたい。そして、彼らの芸を見ながら大口を開けて笑ってられるこの社会を当たり前だと思わず、平和であることがどんなに幸せで、そして尊いことだと改めて噛みしめた。

 

「シンクロニシティ」(日本)のルービックキューブによるアート