震電を見て、そして平和を考える | 直球オヤジの自由奔走生活

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座右の銘は「"行きたい"、"やりたい"、"欲しい"と思った時が"その時"」。55歳で早期退職し、高齢者と呼ばれるまでの今が"その時"。趣味のバイクや自転車は年齢的に待ったなし。エコノミーな生活で趣味を楽しむ。これをどう追い求めるかが、このブログのメインテーマです。

再び鉄道全線完乗を目指し、九州へ行ってきた。その折りにどうしても立ち寄りたい場所があった。そこで見たものは異形の戦闘機だった。

福岡県の筑紫平野に、かつての大戦中「大刀洗(たちあらい)飛行場」という軍の大規模な施設があった。今は飛行場は無いが、そこに「
筑前町立大刀洗平和記念館」が建っている。ちょうど福岡から熊本へ移動する途中にあり、以前からこの機会を伺っていた。それは去年、ここに”幻の戦闘機”が展示されたという情報を得たからだ。それを是非見てみたい。その一心でそこへと向かった。



町立ではあるが、かなり大規模な施設

 

入館すると、それがあった。それは「震電」という、第二次世界大戦末期に日本海軍が試作した局地戦闘機である。前翼型の独特な機体形状を持ち、最高速度740km/h以上の高速戦闘機を目指し、1945年(昭和20年)6月に試作機が完成し、同年8月に試験飛行を行ったが、実戦投入に至らずに終戦を迎えた。その復元模型が去年から展示されている。



写真の左側が前

模型ではあるが、非常に精緻に作られている

 

私は飛行機オタクでも、戦闘機オタクでもない。だからこの手の展示物に、取り立てて惹かれることはないのだが、この震電は別。かつての大戦で活躍した各国の戦闘機はプロペラが機体前方にあるが、この震電は発動機が後ろにある。本来は垂直尾翼を取り付ける場所にエンジンがあるので、垂直尾翼は両主翼に取り付けられている。そして水平尾翼は機体の先端にある。私はオーソドックスなものより異形なものが好きで、震電は私の琴線に触れた。それは子供の頃から続いており、プラ模型でこの戦闘機を作ったことを今でも憶えている。実機は存在しないが、それが原寸大の精密な模型として蘇った。それがここに展示されている。


後部から見たもの

垂直尾翼は主翼に取り付けられており、プロペラは六翼

 

それは何とも奇妙な形だった。震電を全く知らない人が見たら、どっちが前なのかわからないかもしれない。全体のレイアウト的に奇妙な形をしているが、各部において不思議な形をしている。操縦席の後部には、エンジン部に大量の空気を送り込むエアインテークが大きく開いている。プロペラは通常ならば二翼なのに、なぜか震電は六翼。降着装置(ランディングギア)も異様に長い。とにかく全てにおいて奇妙奇天烈な戦闘機で、こんなぶっ飛んだ兵器が大戦末期に作られようとしていたとは驚きだ。この不思議な展示物によって、もう一つの目玉展示であるゼロ戦は、非常に貴重な現存機(修復)でありながら、傍らに追いやられてしまった感がある。

 

手前はゼロ戦

南の島に墜落した機体を修復した現存機で、非常に貴重

 

震電を見られたことでここに来た目的はほぼ達成できたが、他の展示物も見てみよう。ここ大刀洗飛行場は、本来は飛行要員らを教育する軍事施設であったが、大戦末期にはここからも特別攻撃(特攻)が飛び立った。それに関する展示も多い。また、昭和20年には米軍の大規模な爆撃を受け、住民も含め多くの人が亡くなっている。これらについては15分程の映画で紹介されているので観てみた。

その映画はさほど印象に残るようなものではなかったが、最後に一点だけ大いに疑問を抱いた。敵艦目掛けて突っ込んでいく特攻のシーンで終わるのだが、ナレーションでは「彼らは
平和を願って、敵艦に・・・」と述べられていた。特攻隊員の犠牲は何ともやるせないし、彼らの決断は尊い。しかし、特攻は「平和を願って」の行為だろうか。上官の命令に従って敵を叩きのめすことにあったはずで、それは平和を求める行動とは違う。そもそも日中戦争を始め、そしてアメリカに対しても戦いを広げたのは日本であり、形勢が不利になったら、「平和を願って・・・」というのはおかしな論理だ。そんなモヤモヤ感を抱きながら、映画鑑賞後、再度展示物に戻った。

改めて展示物を見ると、なぜ
日本は戦争をすることになったのかという点に触れた展示が無い。特攻に関する展示はかなり多いが、ではなぜ特攻という最終手段に出たのか、という点に触れる説明は非常に薄い。逆に、米軍の大規模爆撃で甚大な被害を受けたことについては詳しく述べている。この館の名称は「平和記念館」である。平和を考え、それを希求するために建てられたものであろう。ならば、なぜ戦争は起きたのか、戦争は回避できなかったのか、勝つ見込みのない戦争を続けたのかという部分に触れずに、平和を論じるのはおかしくないか。

戦争は軍隊だけでなく、民間人においても大変
悲惨な目に遭うから起こしてはいけないという視点だけでは、悲惨ではない戦争(例えば、核兵器で脅し戦闘状態を経ずに屈服させる)ならばやってもいいということになる。この施設は町立だから、恐らく地元の子供たちは学校単位で見学に来るのかもしれない。その目的は、私のように「震電、かっこいい!」ではなく、平和を学ぶ為に来るはずだ。現在のウクライナ戦争にしても、なぜロシアは一方的に戦争を仕掛けたのか、まだ全ては解明されていないし、わかっている範囲でも民族的、歴史的、宗教的、軍事的、リーダーの威信など多くの要素があり、簡単ではない。日本の先の戦争も簡単に説明はできないだろうが、だからと言ってそこを避けてはいけないと思う。

震電は見ごたえがあった。しかし平和を願うのならば、更に一層展示に工夫が必要ではないかと感じながら、館の外に出た。外は相変わらず酷暑だったが、
平和な青空が広がっていた。平和ってありがたい。でも未来永劫それを維持するには、どうしたらいいのだろうか。