大空港の秘境駅 | 直球オヤジの自由奔走生活

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座右の銘は「"行きたい"、"やりたい"、"欲しい"と思った時が"その時"」。55歳で早期退職し、高齢者と呼ばれるまでの今が"その時"。趣味のバイクや自転車は年齢的に待ったなし。エコノミーな生活で趣味を楽しむ。これをどう追い求めるかが、このブログのメインテーマです。

昨日まで、主に千葉県内の鉄道の旅に出掛けてきた。鉄道的にはあまり特色のない県のように思えるが、これがなかなか見所が多いのである。その一つがあの日本の表玄関にあった。

 

私は鉄道全線完乗を目指しているが、千葉県には未乗の路線が多く残っている。房総半島をぐるりと回るJR内房線と外房線の一部や、京成電鉄にも未乗が多くあり、そんな未乗路線が成田空港周辺にも残っていた。

 

海外旅行には全く興味が無く、成田空港に行ったことは数回しかない。もっぱら「YOUは何しに日本へ?」でしか最近の成田空港を知らない。そんな縁遠い成田空港への鉄道アクセスは今では何本もあり、まずはこれを読み解く。鉄道アクセスは以下の三つがある。

 

 ・JR(成田→成田空港)
 ・京成本線(京成成田→成田空港)
 ・北総鉄道経由成田スカイアクセス(京成高砂→印旛日本医大→成田空港)

 

これだけならややこしくはないのだが、路線図を見ると成田空港方面へ向かう路線が、もう一本ある。それは「東成田線」といい、京成成田駅→東成田駅となっているが、この「東成田駅」の存在がよくわからない。駅名に”空港”が付いていないが、空港へのアクセスはどうなのか。そして、路線図を凝視すると、東成田駅から先に「芝山鉄道」と書かれており、東成田駅の次の「芝山千代田駅」で路線が終わっている。このたった一駅一区間しかないのに、わざわざ別な鉄道会社にしているのはなぜか、それはいったいどんな路線なんだろう。俄然興味が沸いてきた。

 

成田空港駅に向かう鉄道の本数は多い。しかし、東成田駅、そしてその先の芝山千代田駅に向かう電車となると、一時間に1~2本程度とグッと少なくなってしまう。京成成田駅で乗り換えると、それまで乗って来た電車と違って、乗客は極少で客層も違う。午前10時頃で一車両数人程度。大きなキャリーバッグを持った人は見当たらない。

 

成田駅を出発した電車は「成田空港駅」に向かう線路をしばらく走り、滑走路に下に潜り込んだ先から東成田駅方面へと分岐して行った。そして、程なくして「東成田駅」に到着。この電車はそのまま芝山鉄道に乗り入れるので、私はこの一つ先の終点の「芝山千代田駅」までまずは行ってみることにし、この時点では降りなかったが、東成田駅で降りた乗客は数えるほどだった。しかし、いったいこの駅は何なんだ。位置的には空港の下にあり、薄暗く、そして巨大。しかし殆ど、いや全く人がいない

 

電車は東成田駅をすぐに出発し、滑走路をくぐり終えたのか、再び地上に出る。旅客機が見え空港の雰囲気が漂ってきたと思ったら、そこはもう「芝山千代田駅」だった。そこで鉄路は忽然と終わっていた。この駅の周辺には空港に関連する会社が数社あり、降りた乗客は10人程度だった。

 

芝山千代田駅は意外にも大きな駅舎だった

この先に延伸させる気を感じさせる雰囲気が漂っていた

ホームからは空港が眺められる

 

15分後にはさっき乗って来た電車が引き返してしまうので、その電車に乗り再び東成田駅に向かう。今度はその駅で下車してみよう。東成田駅に到着。降りたのは私を含め二人だけだった。その一人が行ってしまうと、この大空間の薄暗い駅はシーンと静まり返り、不気味そのもの。今いるホームの目の前には他のホームが見えるのだが、そこの照明は消され使われていない。この駅は何。

 

無人で巨大な東成田駅

 

ここは「(旧)成田空港駅」なのだ。1978年に成田空港旅客ターミナルビルの最寄りとなるターミナル駅として開業した駅である。しかし、1991年に「(現)成田空港駅」が開業すると、現在の「東成田駅」に名称が変更され、都落ちしてしまったのである。現在は、成田空港の乗降客は、旅客ターミナル直下にある「(現)成田空港駅」か「空港第2ビル駅」であり、この「(旧)成田空港駅(現・東成田駅)」を使う乗降客はほぼ皆無なのである。

 

開業当時は成田空港駅として大きな駅だったから、何本もホームがあったが、今や不要となってしまった。そして、一つのホームを残し立ち入ることはできない。そんなかつての巨大駅が、一本で数人しか乗降しない小さな駅になってしまったのである(但し、通勤時間帯には空港関連の従業員が利用するようで、一日千人程度の利用はあるらしい)。隣の暗くなったホームを凝視すると、往時の宣伝看板が見える。そこは平成初期の時間のまま止まっている。

 

帰宅後写真を明るく修正したら、そこに「成田空港」駅の駅名が浮かび上がった

東成田駅のコンコースには、往時の雰囲気を感じさせるレリーフが残っている

 

さて、今では孤立してしまったこの大空港の秘境駅からどう脱出するか。もちろん30分~1時間待てば再び電車はやって来るが、それでは面白くない。ここから空港第2ターミナルに繋がる連絡路があるのだ。その連絡路も見所の一つ。誰一人いない長~い地下連絡路を500m歩くと、そこはまばゆいばかりの巨大ターミナルだった。その劇的変化が面白い。

 

無人の第2ターミナルへの長~い連絡通路

第2ターミナル側の連絡通路入口は少し明るい雰囲気だが、人はいなかった

 

(旧)成田空港駅(現・東成田駅)は第1ターミナルと第2ターミナルのほぼ中間に位置しており、どちらにも行ける位置なのだが数百メートル歩かねばならない。たった数百mなのにと思うのだが、旅客ターミナルのアクセスは、巨大空港にとってさぞかし重要なんだろう。そして新線が引かれ、今の空港第2ビル駅と成田空港駅が開設され、今まで主役だった(旧)成田空港駅は主役の座から引きずり落とされ、東成田線という鄙びたローカル路線になり、傍流となってしまったという訳である。まるで会社内の権力闘争のよう。

 

多国籍の多くの乗客がひしめく、きらびやかな空港第2ビル駅や成田空港駅と、人っ子一人いない薄暗く不気味な東成田駅の距離は1kmに満たない。しかし、その落差はめまいがするほど大きい。そんな権力闘争の果てに主役を明け渡した悲哀をも感じさせた、成田空港周辺の鉄道の旅だった。

 

(補足)
東成田駅から先に延びている芝山鉄道は、空港開設時の成田闘争の果てに、空港によって地理的に分断される芝山町に対し、それを解消すべく設立された第三セクター方式の鉄道。路線の長さはわずか2.2kmで一区間のみ。乗車賃は200円(距離的にはバカ高い)、路線の短さは日本一。