DNA検査の結果が出ました~。
前回の日記はこちら
→詳しい説明とキッド送付
私のご先祖は一体どこからやって来たのか
ディスカバリーの結果はこちら。
予想してた稲作民ではなく流氷の民でした。
肉より魚派では?と書いてありました。
どっちも好きだけどレアならお肉の方が好きです。
でも、アザラシも食べてたみたいだし、
クジラは大好物だからまあ当たってるかなぁ。
特典のゲノミー(個人アバター)はこんな感じでした。
体質検査の結果を元に作ってくれるそうですが、
髪質は太くて色は濃くなくて、
鼻ペチャで背が高くて、胸も腰も細くて、
お酒で顔が赤くなりにくい(お酒が飲めるタイプ)そうでした。
これはかなり当たってました。
横に積まれた酒樽と食べてたアザラシが可愛いのが泣けます。
じゃ、早速ルーツを紐解いていきます。
見事に中国を迂回してます。
大陸ロマンの王道シルクロードを期待してたので本人的にはちょっと拍子抜け。
↓今の地図で見るとこんな感じ。
恐らく東シベリア山脈に沿って進んだと思われます。
大袈裟に言うとこう。
大まかなルートが分かったところで、
年代順に数千年前の日本から遡っていきたいと思います。
先住民の縄文人と混ざって南下していき、
列島中央から入ってきた弥生人と出会って減っていくそうです。
岐阜県出身なので、先祖は飛騨山脈あたりに逸れたんじゃないかと。
↑2~3万年前はユーラシア北部でマンモス狩り。
立派な住居が特徴。毛皮や狩りの道具もたくさん見つかっていて、
マンモスを食べていたみたいです。
↑5~7万年前は中東で洞窟暮らし。
この時代この地域には、ネアンデルタール人という“別の人類”が生息していた
と言われてるそうです。
二つの人類が同時代同地域に生息してたらやっぱり混ざるんじゃないの?
と思ったけど、
ネアンデルタール人さんたちはまだまだ研究段階だそうです。
アフリカがゴールです。
ここでも面白い記述を発見。
5-10万年前に人類はアフリカを出たと言われていますが、
・東アフリカとアラビア半島を結ぶ“嘆きの門”と呼ばれる海峡を越えた「第一の出アフリカ」
・5万年ほど前にエジプトから中東へと進んだ「第二の出アフリカ」
があったとされているそうなので、
5~7万年前に中東にいた先祖は第一陣グループだったと考えられます。
(ってことだよね?)
ちなみに日本人の流氷の民の割合は7%
こうやって見るとあんまり多くない気がしますが、
37%の稲作民が一番多くて15%12%7%と続きます。
11グループもあるので細かいといえばそうかも。
で、それぞれのグループの遠い血縁も分かるんですけど、
流氷の民の場合、
カムチャッカ半島の人々
だそうです。
日本に渡るときに分かれたのかな。
カムチャッカに流氷の民が何%いるのか分からないけど、
こうやって見ると親近感が湧いて遊びに行ってみたくなります。
まとめ。
10~20万年に渡る命のリレーを前にすると、
数十代前のご先祖なんてまだまだ最近のことなんだなぁと考えさせられました。
利便性や混血がどんどん進んで土地とルーツは括れなくなってきてるし、
今後はきっとロマンよりもドラマを紐解く検査になっていくのかな?なんてことも考えます。
そして数千年ほどの歴史しかない宗教観より、
ミトコンドリアの記憶の方が遥かに揺るがない存在だとしたら、
本当に感謝しなきゃならないものは既に本能に刻まれて、
いつも誰もが強く求めて手放すことのないものなのかもなんて気もしました。
なんだろう?
子供かな?
このリレーを続ける理由は分からなくても、
まだまだ途切れる気配はないから案外当たってるかも。
その使命にも目覚めたいところですけど(自分の繁殖はちょっと置いといて)、
何をもって繋ぐのかは多様化してきていると信じて、頑張っていきたいと思います。
前日記でウダウダ言っていた検査もまだ気になってるけど、
今回の検査もとても面白かったです。
大満足でした。
オマケ。
ハプログループの図解
N9は内向的で友好的でない性格だそう。
一番ダメな気がします(笑)
next(∩∀・*)
前回の日記はこちら
→詳しい説明とキッド送付
私のご先祖は一体どこからやって来たのか
ディスカバリーの結果はこちら。
予想してた稲作民ではなく流氷の民でした。
肉より魚派では?と書いてありました。
どっちも好きだけどレアならお肉の方が好きです。
でも、アザラシも食べてたみたいだし、
クジラは大好物だからまあ当たってるかなぁ。
特典のゲノミー(個人アバター)はこんな感じでした。
体質検査の結果を元に作ってくれるそうですが、
髪質は太くて色は濃くなくて、
鼻ペチャで背が高くて、胸も腰も細くて、
お酒で顔が赤くなりにくい(お酒が飲めるタイプ)そうでした。
これはかなり当たってました。
横に積まれた酒樽と食べてたアザラシが可愛いのが泣けます。
じゃ、早速ルーツを紐解いていきます。
見事に中国を迂回してます。
大陸ロマンの王道シルクロードを期待してたので本人的にはちょっと拍子抜け。
↓今の地図で見るとこんな感じ。
恐らく東シベリア山脈に沿って進んだと思われます。
大袈裟に言うとこう。
大まかなルートが分かったところで、
年代順に数千年前の日本から遡っていきたいと思います。
先住民の縄文人と混ざって南下していき、
列島中央から入ってきた弥生人と出会って減っていくそうです。
岐阜県出身なので、先祖は飛騨山脈あたりに逸れたんじゃないかと。
↑2~3万年前はユーラシア北部でマンモス狩り。
立派な住居が特徴。毛皮や狩りの道具もたくさん見つかっていて、
マンモスを食べていたみたいです。
↑5~7万年前は中東で洞窟暮らし。
この時代この地域には、ネアンデルタール人という“別の人類”が生息していた
と言われてるそうです。
二つの人類が同時代同地域に生息してたらやっぱり混ざるんじゃないの?
と思ったけど、
ネアンデルタール人さんたちはまだまだ研究段階だそうです。
アフリカがゴールです。
ここでも面白い記述を発見。
5-10万年前に人類はアフリカを出たと言われていますが、
・東アフリカとアラビア半島を結ぶ“嘆きの門”と呼ばれる海峡を越えた「第一の出アフリカ」
・5万年ほど前にエジプトから中東へと進んだ「第二の出アフリカ」
があったとされているそうなので、
5~7万年前に中東にいた先祖は第一陣グループだったと考えられます。
(ってことだよね?)
ちなみに日本人の流氷の民の割合は7%
こうやって見るとあんまり多くない気がしますが、
37%の稲作民が一番多くて15%12%7%と続きます。
11グループもあるので細かいといえばそうかも。
で、それぞれのグループの遠い血縁も分かるんですけど、
流氷の民の場合、
カムチャッカ半島の人々
だそうです。
日本に渡るときに分かれたのかな。
カムチャッカに流氷の民が何%いるのか分からないけど、
こうやって見ると親近感が湧いて遊びに行ってみたくなります。
まとめ。
10~20万年に渡る命のリレーを前にすると、
数十代前のご先祖なんてまだまだ最近のことなんだなぁと考えさせられました。
利便性や混血がどんどん進んで土地とルーツは括れなくなってきてるし、
今後はきっとロマンよりもドラマを紐解く検査になっていくのかな?なんてことも考えます。
そして数千年ほどの歴史しかない宗教観より、
ミトコンドリアの記憶の方が遥かに揺るがない存在だとしたら、
本当に感謝しなきゃならないものは既に本能に刻まれて、
いつも誰もが強く求めて手放すことのないものなのかもなんて気もしました。
なんだろう?
子供かな?
このリレーを続ける理由は分からなくても、
まだまだ途切れる気配はないから案外当たってるかも。
その使命にも目覚めたいところですけど(自分の繁殖はちょっと置いといて)、
何をもって繋ぐのかは多様化してきていると信じて、頑張っていきたいと思います。
前日記でウダウダ言っていた検査もまだ気になってるけど、
今回の検査もとても面白かったです。
大満足でした。
オマケ。
ハプログループの図解
N9は内向的で友好的でない性格だそう。
一番ダメな気がします(笑)
next(∩∀・*)