デモンストレーション | ももクロ狂詩曲

ももクロ狂詩曲

\ももクロ大好き!/
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3rd・4thアルバムが発売されて一週間が経った.
ウィークリー一位・二位おめでとう,ももクロちゃん.


筆者は急きょ名古屋の二日目に参戦してきたわけだが,ここではあくまで,楽曲を聴いての世界観なり,そこにある想いなりを考えていきたい.
ただ一意に定まる答えはないように思われる.


今回気になったのは「デモンストレーション」である.
清竜人の作詞作曲による独自の世界観を生み出している.

歌詞には「ガリレオ」「止まれ」「ユニバース」「地球」などの,「地動説」と「天動説」を彷彿とさせる言葉が連なる.
聴きながら不思議に思ったのは,

ガリレオに対して「私は私のやり方でやってみる」とメッセージを送っているにも関わらず「止まれ」という言葉を使っていること.

もっと簡単に言うと「止まれ(回るな)」は何に対して放っている言葉なのだろうか,ということ.


歌詞には「私が地球を止めてやる」というものがあるわけだが,これは当時地動説という異端の理論を唱え続けたガリレオに対しての先述のメッセージと逆行するものがあるのは?と感じた.
同じく歌詞中に「回り続ける正義と悪はいつしか座標を見失っている」という言葉もある.

地動説を唱え続けたガリレオのように,「私は私のやり方」を通す意志を見せつつ,「(私の周りを)回り続ける正義と悪」には「止まれ」と言っているのだろうか?
そうだとすると,曲中の「私」は,「私なりのやり方を貫きつつ,私は中心(私)だ」と言っているのか?
つまり,「天動説と地動説の調和(混在・共存)」のようなものをデモンストレーションしているのか?

いや,もしかしたら,天動説→地動説という歴史の流れの中に,新たなものを唱え始めているのかもしれない.
常に新たなものを生み出し続けるももクロと重なるものがある.

Just a moment World and People Inspired me Next Here we go
うん,たしかにこれを謳う人は確固たる自分を持っているのだろう.
だからこそ,「君は君のままで良い」とまで言えるのだろう.

確固たる私を持つ人間にとってグラビティはきっと邪魔なものだろう,どこまでも飛び出したいのだから.


「私たちは舞台の上ならどこまでも行ける」
一年前に聞いたこの言葉がより深く,重いものになった.