本記事はQuickJapan vol.116の内容に触れています.
まだ読んでいなくて内容を知りたくない方は,「のちほど」読んでいただければと思います.
さて,QJで有安杏果ちゃんの特集が組まれた.
特集名は「正直すぎる瞳」
そんな彼女の瞳には,今なにが映っているのか.
私がこの特集を読んで感じたことを,少し長くなるかもしれないが書いていきたい.
まず「杏果と京都」と称されたスペシャルフォト.
ももかちゃんの笑顔が弾ける.そして大人っぽい表情も見せる.
19歳の有安杏果をいっぱいに感じさせてくれる.
写真のなかに,絵馬の写真がある.
「これからも私の夢が そしてみんなの夢がずっと輝き続け叶いますよーに。」
彼女は国立ライブのVTRで「国立は『夢』でした。」と,自身の中での「目標」と「夢」の捉え方について少しだけ触れている.
ここの絵馬に「夢」という言葉を使ったこと.これは彼女と,彼女のことを想うみんなの「夢」に寄り添う彼女の優しさが見てとれる.そして彼女自身にも「夢」があることも.
続いて密着ドキュメントに入る.このドキュメントはあの「米子の夜」をスタートとしている.
そしてこの夏の終わりまで.
全てにおいて考えさせられる内容.いや考えさせられるというより,私たちの知ってるももか,知らないももかが眼前に広がるイメージ.私はそれを見ているだけである.
ももかが喉を休養させていた時期のことも書かれている.
一年半前のことをここにきて知るわけである.
そのとき私はひたすらに願っていた.有安杏果が戻ってくること.いや,戻ってきてさらなる進化をする一歩目になること.
今ここで改めて有安の努力・苦悩を知ると...グッとくるものがあった.
5Dのきたえーるに参戦したとき,走れ!で暗転し,ももかちゃんが振る緑色のサイリウムを見て涙したことを思い出した.
有安杏果がそこに「いる」こと.極論を言えば,それだけで私は満足したライブだったのかもしれない.
あのとき,本誌に書かれたことを知っていたら...涙はいつまで続いただろうか.
「休憩中,なぜ他の4人みたいにはしゃがないのか」という,ある取材ディレクターの質問.
私たちファンからすると(ももクロの中の有安杏果,個人としての有安杏果をそれなりにわかっているつもりだから)あたりまえであるが,たしかに引っかかることだったのだろう.
でもそんなとき,あーりんとしおりんがももかを包み込む.これも,ももクロがももクロたる所以,そして有安杏果が有安杏果たる所以なのかもしれない.
そしてファンから心配されるアーティストであってはいけない,と考えているようである.
うん,それはたしかにそうかもしれない.
私たちは勝手に心配していて見えていなければいいのだが...有安杏果はそれを見ようとする.
(今年のGFの涙のことだって,翌日にはネット上で話題になったことを知っていた.)
まあそこで見て次に活かすのが有安杏果ではある気もするが...なんだかファンが彼女を不安にさせているような気もしてちょっとなんとも言えない気持ちになったのも事実である.
しかし結局有安杏果はその過程を経て,進化していく.
...じゃあまあ良いか(笑)
今までもその過程を経てきたのだとしたら...これはある意味彼女らしい成長のしかたなのかもしれない.
さらにはレディーガガのアクトを見て,メインステージのみを使っているのに「距離を感じさせない」パフォーマンスについて語る.
彼女は昔から「距離」を大切にしている.ライブのあいさつでは「距離なんて関係ない」と言ったり,誰よりも早くLVの観客を気にしたり.彼女にとって「距離を感じさせない」というのは,永遠のテーマなのかもしれない.そんなパフォーマンスがなされる日が楽しみでしょうがない.
ふたつの「誕生日」を超えて,ひたすら歌い続けた夏.
ファンを大いに魅了した夏.
ファンとして,彼女の活躍を追っていて,こんなに楽しいことはない.
本誌では,GFの感涙は「句読点」だとつづっている.
そうだ,きっとこの夏なんて,これから続く物語の句読点にちがいない.一文の中の,読点にちがいない.
とりあえず密着ドキュメントまでを記事にした.
まだまだQJはつづく...