旅に出て気がつくのは、同じような日々のルーチンを繰り返す日常は、非常に狭い世界であるということだ。
仕事も、自宅も、その途中の通勤経路も。
ものすごく狭い世界で、その中だけで日々を生きている。
しかし、当の本人はそれが世界の全てだと錯覚していることがほとんどだ。
だから、それらの日常を失うことがあったらどうしよう!と心配したりする。
しかし、心配することはない。
それらを失ったところで全然違う世界がその先にあるのだから。
旅に出ると、その片鱗のようなものを感じることができる。
今までそれが全てだと思っていた日常の世界は、ほんの断片に過ぎなかったのだと。
だから勇気が湧いてくるのだ。
自分はこの小さな世界でも生きていけるが、そこから出ても、また新しい世界で生きていける。
ちょっと日常を脱出してみた「旅」という体験で、それはお試し済みなのだから。
日常を抜け出ても、淡々と「生きる」は続く。
そして、日常のその先の世界は、自分が想像もつかないほどに広く、想像もつかないような体験が転がっている。
体験すればするほど、外へ外へと世界は拡大していくのです。
日常に埋もれていると、そんなことを忘れがちだから、やっぱり時々旅に出よう。
日常生活がこの世の全てではなく、非常に小さい世界で生きていることを忘れないために。
そして、行こうと思えば、いくらでも日常の外へ出られることを実感するために。
それには一人旅が一番効果的だ。
日常の人間関係すらも脱出していくのが「大海」に出る第一歩。
日常の温かな繭の中にある人間関係は、やはり小さな日常の一部なのだ。
だからそれすらも脱ぎ捨てて、日常から飛び出していかなくては。
小さな日常の全ての要素を脱ぎ捨てられるか。
それが、その先の広い世界と大勢の非日常の人々を体験するのに必要な踏み石なのだと思う。