2024年3月15日(金) 晴  坂下宿から土山宿、水口宿  21.6㌔

 

 亀山に前泊し、朝、亀山駅から関駅まで行き、バスで、伊勢坂下まで行く。同年齢ぐらいの女性と一緒だったが、彼女は坂下から関宿まで反対に歩くとのこと。9時30分から鈴鹿峠目指して歩く。結構向かい風が強く、寒い。石仏2体の岩屋観音がある。道中安全を祈願しているそうだ。

 

 

 しばらく道なりに歩いていくと、片山神社の標識があり、神社までの急坂を登ると片山神社に就く。鈴鹿峠の守護神鈴鹿大明神を祀っている。

 

 

 ここから峠までの急坂を登る。

 

 

 

 国道一号線の高架を石段でくぐると芭蕉句碑がある。「ほっしんの初(はじめ)にこゆる鈴鹿山」

 

 

 喘ぎながら、峠に着く。ここは伊勢(三重県)と近江(滋賀県)の国境。「道狭く険しく雨の日は清水が所々に湧き、超えるのが難しい」といわれ、片山神社から「十八曲八町」とあり、しばしば山賊が跋扈した。

 

 

  広場に出ると、万人講常夜燈がそびえていた。金毘羅参りの講中道中安全を祈願して建立したもの。高さ5.4mある。

 

 

  国道一号線に合流し、平坦な道を進む。周りが杉林で、向かい風の中花粉をもろに浴びる。マスクを持ってこなかったので、鼻水が止まらなくなってしまった。この辺りは、鎌倉から室町時代にかけて、この地を支配した山中氏に由来する山中村である。

 しばらく行くと国道を抜けた角に、鈴鹿馬子唄碑があった。「坂は照るてる鈴鹿はくもるあいの土山雨が降る」

 

 

また、国道と合流する角に、山中一里塚公園があり、一里塚跡の碑がある。江戸より百九里目である。

 

 

 なおも進むと、東海道猪原村碑があった。鈴鹿山から下りてくる猪をよける垣根があったところである。

 

 

 国道をそれて、旧道に入り進むと蟹坂古戦場跡の碑があった。伊勢北畠氏の侵攻を山中氏が撃退した。

 

 

 田村川に架かる田村橋がある。賃取り橋で旅人は3文であった。広重は雨の田村橋を描いている。

 

 

 大きな神社の田村神社がある。鈴鹿山の山賊を退治した坂上田村麻呂を祀っている。

 

 

 神社の参道を抜け、国道を横切ると、道の駅「あいの土山」があった。ちょうどお昼、そばを食べて休息。腹を満たして出発すると、東海道土山宿碑があった。土山宿の江戸口である。

 

 

 土山の一里塚碑があった。江戸から百十里目である。この辺りを歩いていると、畑仕事のおばーさんに声をかけられ、みんな挨拶してくれる。いい人ばかりだ。

 

 

 土山宿は中世、甲賀五十家の一つの土山氏がこの地を収めたところに由来する。難所鈴鹿峠を控えて大いににぎわった。宿場の家々には昔の屋号の看板が記されている。

 

 

 街並みは古い面影を残している。本陣宿跡碑もある。

 

 

 土山宿の名産の「お六櫛」を商う店が多かった。「お六櫛」はもともとは中山道藪原宿の名産であったが、藪原の商人がこの辺りに技術を教えて広まったそうだ。

 

 

 宿を抜けて、土山西口から甲賀市コミュニテイバスに乗り、水口まで行く。水口宿は、水口藩の城下町として栄えた。水口宿本陣跡の看板があった。

 

 

 高札場が復元されている。

 

 

 創業1818年、銘菓「忍術最中」の老舗「一味屋」で、最中を買う。

 

 

 今日はここまでとし、4時過ぎに宿泊先の水口センチュリーホテルに向かう。歩いた距離約18㌔。疲れた。近くのスーパーで、酒と食糧を買い、部屋で食べた。

 

 

2024年3月16日(土) 晴 水口宿から石部宿まで 14.3㌔

 

 朝、7時45分にホテルを出て歩き出す。水口城の近くに水口石があった。

 

 

 百軒長屋跡。棟割長屋に、水口藩の下級武士が居住していた。

 

 

 五十鈴神社に水口の一里塚跡がある。江戸から百十三里目である。

 

 

 水口宿西見附(京口)。広重は宿西はずれの農家の干瓢づくりの景を描いた。

 

 

 宿を出ると、真っすぐな道が続いていた。東海道の整備に伴い、曲がりくねっていた旧伊勢大路を見通しの良い直線路にした。昔は両側に北脇縄手の松並木が植えられていた。

 

に伴い

 

 まっすぐな道をひたすら歩く。土曜日の朝なので車も人も少ない。無人となった旧家が多い。

 

 

 しばらく行くと、泉福寺がある。813年、最澄が創建。本尊の地蔵尊は国の重要文化財。

 

 

 泉の一里塚がある。江戸より百十四里目である。

 

 

 野洲川はこの辺りで横田川と呼ばれ、舟渡し場があった。今は閉鎖され、渡し場跡の碑がある。上流に横田橋が架けられた。

 

 

 橋を渡って左折すると、JR草津線の三雲駅である。三雲駅から石部駅まで行き、石部駅入り口から、宿場を目指して反対側に歩く。広重が描いた「田楽茶屋」が再現されている。

 

 

 ちょうど店が開いたところで、こんにゃくと豆腐のみそ田楽を食べた。店のおばさんに聞くと、この辺にも外人が多く来るそうだ。

 

 

 石部宿は「京立ち石部泊まり」と言われ、京を出立した旅人の一泊目にあたり賑わった。街並みは静かで整備されていた。

 

 

 石部本陣跡や高札場跡がある。

 

 

 昼が近くなり、暑くなってきた。昨日歩きすぎたので、今日はここまでとし、石部駅から草津駅を経由し、京都駅まで出た。歩いた距離約12㌔。京都駅は外人の観光客で大混雑。新幹線で帰宅。