2023年11月2日(木) 晴  桑名から四日市宿  15,7㌔

 

 新幹線で名古屋まで行き、関西本線で桑名駅で降りる。11時から歩き出す。異常気象で暑いなか、桑名側の七里の渡し跡まで歩く。昔は尾張の宮宿からここまで船で渡った。

 

 

 今はきれいに整備され、常夜灯と鳥居が立っている。

 

 

 ここから四日市宿を目指して歩く。泉鏡花の小説「歌行燈」に登場する料理屋がある。昼時で満員だった。

 

 

 桑名宿は伊勢参りの参宮道を控え大いににぎわった。桑名の総鎮守春日神社の青銅鳥居の脇に迷い子探しの「しるべ石」がある。

 

 

 歴史を語る公園に桑名城の石垣が残っていた。

 

 

 京口見附跡に京町毘沙門堂が立っている。昼飯を探していたら、「登里勝」というラーメン屋があった。ここのはまぐりラーメンがうまかった。1700円と少し高かった。

 

 

 道標に沿って旧道を歩く。とにかくお寺が多い。特に浄土真宗高田派の寺が多い。

 

 

 しばらく行くと「一目連神社」という鋳物師の守護神を祀った神社があった。鋳物は桑名の代表的な産業だった。古代から鋳物師は、片方の目でふいごの火を見るので、片目がつぶれてしまうことが多かった。

 

 

 

 復元火の見やぐらと矢田立場解説があり、そこを左折して進む。

 

 

 了順寺の山門は桑名城の城門を移築したものだそうだ。

 

 

 道なりに歩いていると、町屋川にぶつかる。伊勢両宮常夜灯を見て町屋橋を渡る。

 

 

 しばらく行くと、縄生(なお)の一里塚跡がある。日本橋から九十七里目だ。

 

 

 暑さがこたえた。ちょうど近鉄線の伊勢朝日駅があったので、近鉄富田駅まで電車で行く。富田村は間の宿で、桑名は佃煮の「しぐれ蛤」が名物で、焼き蛤はここが本場であった。明治天皇が休息して焼き蛤を賞味した跡の碑が建っていた。

 

 

 十四川に架かる橋を渡る。川岸は桜の名所だが、紅葉はもう一つであった。

 

 

 薬師寺、常照寺などお寺が続く道を歩いていると、大神宮常夜灯があった。

 

 

 暑さが増す中、しばらく歩くと、立派な松の木があった。かわらずの松といい、樹齢約200年、松並木の名残である。

 

 

 三ツ谷の一里塚跡の碑がある。日本橋から九十九里目。ここから海蔵川を渡ると四日市が近付いてきた。

 

 

 

 三滝川を渡ると四日市宿である。四日市宿は四日市湊から宮への渡しや伊勢参宮道の追分を控え大いににぎわた。

 

 

四日市名物「なが餅」の笹井屋がある。小豆餡を包んだ平たい餅の両面を焼いた餅菓子である。土産で買ったがおいしかった。

 

 

 本陣跡は黒川農業商会になっていた。

 

 

 国道を渡ると諏訪神社がある。四日市の鎮守社である。

 

 

 参道がアーケードになっており、ここを通って今日の宿「スーパーホテル四日市」に着く。今日歩いた距離は17㌔。近くの居酒屋で日本シリーズを見ながらうまい酒を飲む。隣に座った地元の女性と話が盛り上がり、少し飲みすぎた。

 

 

2023年11月3日(金) 晴  四日市宿から石薬師宿を経て庄野宿へ  15㌔

 

 8時30分から歩き出す。朝は涼しい。丹羽文雄誕生地碑があった。崇顕寺の住職の長男として生まれた。

 

 

 近鉄名古屋本線のガードをくぐって歩く。祝日の朝で車もほとんど通らず、歩きやすい。鹿化(かばけ)川を渡ると大宮神明社がある。一休みする。

 

 

 この道の両側もお寺が多い。円楽寺、興正寺、両聖寺などを見ながら歩いていくと「日永の一里塚」跡があった。日本橋より百里目。

 

 

 この辺りから泊の集落まで松並木が続いていた。今は一本の松が残っている。

 

 

 四日市あすなろう鉄道の泊駅から内部(うつべ)駅まで電車に乗る。内部で下りて采女村を歩く。雄略天皇に仕えたこの地出身の女官=采女が気に入られて、この地を采女村と呼ぶことが許されたそうだ。内部橋を渡り、坂を登って行くと「うつべまちかど博物館」という小さな博物館があった。柿をごちそうになり、この地の話を聞く。

 

 

 ここから杖衝坂という坂が始まる。伊吹山で深手を負った日本武尊が剣を杖にしてようやくこの坂を越え、「わが足は三重の鈎(まがり)のごとくして甚だ疲れたり」と言った。これが三重の語源になった。

 

 

 

 采女の一里塚跡を過ぎて国道一号線を歩く。車が激しい。ここから鈴鹿市に入る。

 

 

 国道をそれ、旧道を歩いて、石薬師宿に着く。石薬師寺の門前町として開けた。伊勢参りの参宮道から離れていたため、通行するものは少なかった。この碑のところが宿の江戸口である。

 

 

 国文学者の佐々木信綱の生家があり、土蔵が石薬師文庫となっている。

 

 

 石薬師寺はひっそりとしており、紅葉もまだであった。本尊は弘法大師が一夜のうちに爪で彫ったという線刻の薬師如来。

 

 

 

 広重は晩秋の石薬師宿を描いている。

 

 

 石薬師の一里塚がある。日本橋より百二里目。

 

 

 暑い中、一号線に沿って歩いていると、庄野宿に出る。庄野宿は石薬師宿と同様に通行はなく甚だ振るわない宿であった。旧小林家宅が庄野宿資料館になっている。当時の高札5枚が展示されていた。

 

 

 本陣跡の標石がある。

 

 

 広重は慌てて雨宿りを求めて走り出す駕籠かきを描いている。

 

 

 今日はここまでとし、関西本線加佐登駅から名古屋まで行き、新幹線で帰宅した。歩いた距離は18㌔。