2023年2月3日(金)曇り 江尻宿から府中宿 12.2㌔

 

 コロナも寒さも一段落したので街道歩きを再開した。新幹線と東海道線を乗り継いで清水駅で降りる。11時から歩き始める。駅を出て江尻東の交差点を曲がると江尻宿である。江尻宿は巴川の船運、そして天然の良港清水湊をひかえ、江戸と大阪航路の中継地であり、船手奉行が置かれ、幕府の港とし大いに栄えた。

 

 

 道なりに歩いていくと、江尻宿寺尾本陣跡の碑がある。

 

 

 巴川に架かる稚児橋を渡る。渡り初めの日、河童の子が現れさっさと渡ってしまったという。

 

 

 川岸に「船高札場跡」の碑がある。船が遭難しそうなときは皆で助けるようになどと書かれており、巴川舟運の拠点であった。

 

 

 宿の西木戸跡を過ぎ、道なりに進むと、都田吉兵衛供養塔が立っていた。俗に都鳥と呼ばれた侠客で森の石松をだまし討ちにしたが、次郎長一家がここで仇を討った。

 

 

 東海道線の踏切を渡り、しばらく行くと、イオンがあった。ちょうどお昼過ぎだったので、中のイートインでラーメンを食べた。

 腹を満たし、歩き始めると上原子安地蔵堂があった。武田の武将で江尻城主穴山梅雪はこの堂内で家康と会見し、武田勝頼を見限り家康の軍門に下った。これが武田家滅亡のきっかけとなった。

 

 

 県道に合流したところに、「草薙の一里塚」がある。江戸より四十三里目である。

 

 

 道なりに進むと、草薙神社の大鳥居が見えてくる。ヤマトタケルが、この地で族に襲われ火を放たれたが「あめのむらくもの剣」で草を薙いで逃れた。この剣を「草薙の剣」と呼び三種の神器の一つとして熱田神宮に祀られている。

 ここで、静鉄の草薙駅から長沼駅まで電車に乗る。長沼駅で降り、府中宿目指して歩く。途中法蔵寺に立ち寄り一休み。

 

  

 JR線をくぐり、国道を横断すると府中宿である。古に国府が置かれたところから府中となった。家康はここで駿府城を築いて大御所政治を展開し、府中宿は駿遠最大の宿場となった。維新後、「府中」は不忠に通じるからと賎機山(しずはたやま)にちなんで賤ケ岳と改名したが「賤しい」は不適切とされ「静岡」となった。伝馬町通りに本陣と脇本陣跡の碑があった。

 

 

 西郷山岡会見碑があった。慶応4年山岡鉄舟は西郷隆盛とここで会見し、慶喜の処遇、江戸城明け渡しなどの根回しを行った。

 

 

 静岡駅前は多くの人で賑わっていた。少し足を延ばし、駿府城跡に行ってみた。大河ドラマ「どうする家康」の幟がたくさん立っていた。現在天守閣跡の発掘が行われている。

 

 

 今日はここまでとし、三交イン静岡北口に泊まる。歩いた距離約10㌔。夜、青葉通りの「静岡おでん」を食べられる飲み屋に行き、気さくなママさんと話が弾み大いに盛り上がった。

 

 

2023年2月4日(土)晴  府中宿から丸子宿を経て岡部宿 14.3㌔

 

 朝8時から歩き始める。少し寒いが晴れている。本通りを歩く。途中、府中の一里塚跡がある。

 

 

 安倍川橋のたもとに安倍川餅の店があったが、朝早く準備中で食べられず。残念

 

 

 安部川橋を渡る。安部川は甲斐駿河境の阿部峠に源を発し、流末は駿河湾に注ぐ。川越人足による徒歩渡しであった。水量は極端に少なかった。

 

 

 手越村に入る。少将井神社にお参り。一の谷の合戦で捕らわれた平重盛の身の回りを世話した白拍子の「千手の前」の誕生地

 

 やがて丸子(まりこ)に着く。この辺りには名残の松がぽつんぽつんと植わっている。

 

 

 丸子の一里塚跡を過ぎると、丸子宿江戸方見附跡の標識がある。

 

 

 丸子宿は昔の面影を残しており、宿場町らしい町並みが整備されている。2月の末には宿場祭りも予定されている。

 

 本陣跡や脇本陣跡の碑がある。

 

 

 宿の出口にとろろ汁で有名な丁子屋がある。

 

 

 11時開店で、ここでも食べることができなかった。芭蕉の句碑「梅わかな鞠子の宿のとろろ汁」があった。

 

 

 ここからバスに乗り、宇津ノ谷入り口まで行く。ここから難所宇津ノ谷峠を越えることになる。道の駅でとろろ汁定食を食べ腹ごしらえをして登り始める。

 

 

 かなりの急こう配を登っていく。

 

 

 中腹に出ると宇津の集落が一望できる。

 

 

 やっと峠の頂上に出る。反対から登ってきた老夫婦に出会う。地元の人で毎週歩いているとのこと。

 

 

 ここから下りだがきつかった。

 

 

 峠が終わって、坂下地蔵堂で休憩。名残の松を見ながら、岡部宿を目指す。

 

 

 岡部宿は小宿であったが、難所宇津の谷峠を控え、西の大井川、東の安倍川が川止めになると旅人で賑わった。

 

 

 西行笠懸の松がある。弟子の西住の死を悼んだ松。

 

 

岡部橋を渡ると大旅籠柏屋がある。年寄、宿役人を務めていた。今は有形文化財として有料で見学できる。甘酒を飲んで休息した。

 

 

 隣に、本陣があり、本陣門が復元されている。

 

 

 歩きはここまでとし、バスに乗って藤枝駅まで行き、東海道線と新幹線で帰宅した。歩いた距離約10㌔