令和元年10月30日(水) 晴れ 宇都宮宿から徳次郎宿 10.5キロ

 JR宇都宮駅9時40分着。バスで伝馬町まで行き、、奥州道中追分を左折し本郷町通りを歩き出す。すぐに蔵造りの商家がある。油を商い副産物の油粕を農家に売って財を成したらしい。

 

 右手に「桂林寺」が見えてくる。蒲生君平や官軍側で戦った宇都宮藩士の墓がある。ここは官軍の官舎になり会津藩の襲撃を受けて灰燼に帰してしまった。

 

  しばらく歩き続けると、左手に観音様のような石像が立っていた。勝善神(そうぜんしん)といい、神道の牛馬の守護神で、仏教の馬頭観音に当たるそうだ。

 

 さらに行くと松原3丁目交差点に出て、道が広がる。このあたりは「戸祭」というところで、土を祀る「土祭」が転訛したとのこと。国道119号線を歩くので車の往来が激しい。やがて右手に、薬師堂が見えてくる。中には薬師如来が安置されており、かなり古いお堂のようだ。

 

 宇都宮環状線を横断すると、細谷新道入口というところから桜の古木と杉の並木が始まる。119号線の両側が少し高い歩道になっており歩きやすくなってきた。

 

 国道が低くなっており、このあいだの大雨でこのあたりも冠水したそうだ。やがて、「上戸祭の一里塚」が現れる。日本橋から二十八里目だ。

 

 文星芸術大学を左に見て、なおも行くと釜川にかかる弁天橋を通る。川の流域が水の浸食によって釜のような形になっているそうだが、増水でわからなかった。

 

 その先に光明寺という寺がある。薬師如来が安置され、このあたりの里人から篤く信仰されていた。寺前には立場があり将軍日光社参の際には境内にお茶屋が設けられた。

 

 

 昼も近づいたので、食堂を探していると、京都ラーメンののぼり。早速ビールとラーメンを食べる。京都の九条ネギをふんだんにのっけたラーメンで、まーまーの味だった。腹ごしらえをしてまた歩き出す。道は杉並木に囲まれ雰囲気はよくなってきた。このあたりは下金井村といい、二宮尊徳が村内の台地に杉、ヒノキを植栽し「二宮林」と呼ばれたそうだ。

 二宮尊徳は小田原に生まれ、小田原藩家老家の財政を再建して武士に取り立てられた。1853年、幕命により疲弊した日光神領八十九ケ村の復興に尽力した。

 

 江戸より二十九里目の 「高谷林の一里塚」を過ぎ東北自動車道の高架をくぐると徳次郎町である。

 

 

 徳次郎宿は下・中・上の三宿で一宿とし、月のうち三交代で問屋を務めた。地名の起こりは日光二荒山より智賀都明神を勧請した際、日光山の「久次郎(くじら)」に対して、外なることから「外久次郎」と称し、「徳次郎」に転訛したそうだ。

 

 中徳次郎には智賀都神社があり、徳次郎六ケ郷の鎮守である。参道口の「長寿の夫婦ケヤキ」は樹齢七〇〇年。

 

 今日はここまでとし、晃陽中前バス停から宇都宮駅に戻り、JRで帰宅。2時30分