地震の後片付けで休日はつぶれる。何十年ものたまりたまったゴミが出てくる。患者さんも言われていた、「お母さんにとっては宝物の装飾品も息子とダンナから見ればただのゴミにしか見えない」といわれたと。ゴミの山にうんざりしてやる気を失っていたとき、娘が私の大学卒業アルバムを見つけてきた。

 卒業アルバムといっても写真集の立派なものではなく、第2卒業アルバムという,ちょっとふざけた、学生のノリでQ&A式のものだ。卒業以来まったく見たことも無い幻のアルバムが出てきた。

 娘がさっそく私の頁と出席番号の隣の友人の頁を見てゲラゲラ笑っている。私も完全に忘れていたので同級生がどんなことを書いているのか興味が湧いた。1頁見た途端私は40年前に逆戻り。懐かしい友の顔が浮かんでくる。

 国立大が年間授業料6万円のころ県立大のため3万6千円で歯科医師になれた時代。それでも苦学して新聞配達やバイトで生活費を捻出した友。すでに結婚して子どももいたのに6年間隠し通した友。みんな貧しく私立大生のような豊かな生活が出来るものはほとんどいなかったけれど、みんなよく頑張った。

 6年間を通じて学んだことは忍耐。他学部と違って1年生から鍛えられ勉強漬けの6年間の毎日。毎年留年生が続出して同期がどんどん減ってくる。実習が多く、一つでも単位を落とすと即留年の過酷な宿命。先生の気に沿わぬ意見を述べてマークされ、理不尽なレポート提出を要求され徹夜でふらふらになりながら歯を食いしばって頑張った日々。

 みんな懐かしい青春の思い出がよみがえってくる。今度は熊本に住む被災者全員が同級生。みんなで頑張ってこの試練を乗り越え、あの時代があったからこんなに充実した日々が送れるとみんな幸せになりましょう。