PS. 哀しきウィチタの架線作業員についての追記 | 鳥肌音楽 Chicken Skin Music

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前回書いた「ウィチタ・ラインマン」について書いたエントリですが、検索した記事などでよく分からない部分があってスルーしていたことが、ちょっぴり理解できましたので追記です。

前回の記事でウェッブはオクラホマのワシタ郡の田園地帯を車で走っている時にどこまで続く電柱の上に、夕日をバックにした架線作業員のシルエットを見たことから曲のインスピレーションを得たと書きました。そしてそれはまるで「孤独」という名の絵のようだったと感じたと。

その時の思いはSongfact.comにはこう書かれています。

>大地は真っ平です、手にもった電話を電柱に取り付けた男(作業員)のスナップ写真みたいでした。そして歌がやってきました。その光景はなんなんだろうと思いこんな風に考えました、電柱の上で仕事をするのはどんな気持ちなのか?、そしていったい(電話で)何を話しているのか?。ガールフレンドと話していたのか?そこで彼らが電話をかけ話をしているのは、おそらくはある種のチェックをしてるだけなんだろう、「地点46」「全て良好です。」ってね。

> rigged up on a pole with this telephone in his hand. っていうのが何なんだろうなぁと思って前回はスルーしています。ただ前回貼っていたモノクロの写真がまさに rigged up on a pole with this telephone in his handだよなと。



架線作業員の仕事って、電線の弛みがどうだとか切れそうな箇所は無いかとか、電柱が傾いていないかとか外からのチェックだけじゃなく、ちゃんと通信ができるのかというのが一番重要なチェックになるようです。それを調べるために電柱ごとによじ登って、電話を簡易的に電線に繋ぎ本部に電話してちゃんと繋がるかを確認する、写真はその作業をやっているところを捉えたものということです。

この作業をする作業員を夕日の中のシルエットで見たときにウェッブは仕事が立て込んで長い事家にも帰れない男が、作業用の電話を使ってこっそりと家にいる奥さん(もしくは恋人の家か?)に電話をしているのではないか?と妄想し、あの歌詞が浮かんできたということみたいですね。

I hear you singin' in the wire,
I can hear you through the whine

の部分をだだっぴろく吹きっさらしの乾いた平原にある電線だから、砂嵐のような風があたって電線がぴゅうぴゅう泣き、それが奥さん(彼女?)の鳴き声に聞こえたという風にとっていたのですが、文字通り電話線(wire)から聞こえてきたとうことにも思えてきました。



ちなみに、電話線のチェックとしては電話でチェックする他に(前にかな?)モールス信号を使ってというのもあったようで、キャンベルのバックトラックの間奏やエンディングで高いキーでツーツーツーッツーを鳴っているキーボード(?)の音は、そのモールス信号を模しているようです。

あと、この歌は歌詞が2番までしかないちょっと変わった歌なのですが、実は3番の歌詞も必要ということ何度も催促をされ、ウェッブも「分かった分かった、書けばいいんでしょ」という感じでズルズルと先延ばしにしていたようです。ある日、キャンベルと話していて「ところで、「ウィチタ・ラインマン」はシングル・カットしないんだろうね。」と訊くと「いや、もう録音しちゃったよ。」という返事。しびれを切らしたプロデューサーのアル・デ・ロリイがキャロル・ケイに6弦ベースを持たせ3番の歌詞が入る部分にベース・ソロを入れて完成させてしまったというわけです。

インタヴューなどを読むと3番の歌詞はひょっとしたらビリー・ジョエルが評した「Wichita Lineman’ is ‘a simple song about an ordinary man thinking extraordinary thoughts.」(「ウィチタ・ラインマン」は普通の男が他人とは違った考えを思っていることについてのシンプルな歌だ)という、歌に込めたテーマを謎解くようなものになっていたのではとも思えます。

でも、そういう種明かしをしない2番までの短い歌詞の歌に結果的にはなったことで、聞き手側が想いを膨らますことができる名曲となった、そんな風に思ってしまいました。「魔法」ですね。