リンゴをリスペクトすべき13の理由 by JOHN BRYANT | 鳥肌音楽 Chicken Skin Music

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本日7月7日はリンゴ・スターの78回目の誕生日です。ということで例によってネットでリンゴのことをいろいろ検索していたら、ちょっと面白い記事が出てきたので抄訳してみました。

ビートルズがデビューしてからはや55年あまり、この間ビートルズについては語りつくされた感もあるのですが、いまだにリンゴ・スターについてはドラムも大して上手くもないのにビートルズの一員となってスパースターになったラッキーな男みたいなことを思っている人が少なからずいるようです。もちろん、そんなことはない、リンゴのドラムがあったからこそのビートルズだと思っている人はたくさんいます。たとえば、好きなロック・ドラマーのランキングがあれば必ず上位に来るロック的なけれんたっぷりのジョン・ボーナムやキース・ムーン。彼らがリンゴの代わりにビートルズにいたら・・・。少なくともリンゴが記事中にあるような正確なテンポを刻めるドラマーだったからこそ、ビートルズのソングライターたちは様々な実験に踏み出すことができ、60年代の多くのバンドのトップランナーなることができたんだと思います。

また、これはリンゴの素晴らしさというよりはエプスタインを含めたビートルズのすばらしさと言えるのでしょうが、メンバー四人を均等に扱ったということがあります。デビュー・アルバムからジャケットに写る4人のメンバーは横並びで誰かが前面に出たり大きくフィーチャーされることはありませんでした。ラスト・アルバムなど完全に4分割ですからね。この4人を均等にということがあったから記事中にあるようにステージではリンゴのドラムを台に乗せメンバー3人より高く配置して、観客からリンゴがはっきり見えるようにという配慮がなされていました。もちろんTVでもリンゴのパフォーマンスははっきりと確認できたために、リンゴの使用していたラディックのドラムが売れに売れてロック・ドラムの代名詞となり、リンゴの「マッチド・グリップ」がロック・ドラマーのスタンダードになっていったのです。

そんなこと含めリンゴ・スターがビートルズにいた意味を再認識いただければなぁと思います。
 

>リンゴをリスペクトすべき13の理由 by JOHN BRYANT


リンゴスター、地球上で最も幸運な才能。 彼がやったことは、笑って頭を揺らしたことだけ。あぁ、そして20世紀最高の才能のミュージシャン/ソングライター3人のためにビートをキープすること。リンゴがビートルズの成功に果たした役割を考えるとき、他に思いつくことはあるかい?リンゴは本当に違ってたのだろうか?『アンソロジー1』を聞くと、ピート・ベストとあと二人のドラマーが20曲以上演奏しているのが聞ける。リンゴは適切な時期に適切な場所にいあtんだろうか?以下の項目は、イメージの裏側を知る手助けになるでしょう。


1. リンゴはTVで見ることのできた最初の本物のロック・ドラマーでした。エルヴィス、ビル・ヘイリー、リトル・リチャード、ファット・ドミノ、ジェリー・リー・ルイスなどのすべてのロック&ロール・ドラマーたちはおもにR&Bのドラマーでした。そして40年代から50年代のスイングドラムのスタイルから、よりうるさくてより「ロック」するサウンドに向かっていき、「抱きしめたい」へと結びついていきます。彼らはタキシードとスーツを着こみ、軍隊やオーケストラ、ジャズドラマーの 「伝統的な」方法でドラムスティックを握っていました。リンゴは、ロック&ロールの「ロック」に重点を置くためにはパワーが必要だということを世界に示しました、彼はハンマーのように両方のスティックを握り、ロックミュージックの基礎を築いたのです。

 



2. リンゴは、ドラムスティック左右対称に握る「マッチド・グリップ」を一般的にして、ドラマーのスティックの握る方法を変えました。リンゴ以前の西洋世界のほとんどすべてのドラマーは、「トラディショナル・グリップ」でスティックを握っていました、左手のスティックは箸のように握られています。「トラディショナル・グリップ」はもともと軍楽隊のドラマーによって開発されたもので、肩から吊るされたドラムの角度に対応するために考えられました。リンゴは左ききで右手に合うように左手の握りを変えたので、両方のスティックはハエ叩きのように握られます。 ロック・ドラマーに呼応してマーチング・バンドやオーケストラ・パーカッショニストも、現在は「マッチド・グリップ」を採用しており、ドラム・メーカーはそれに合うストラップやアクセサリーを開発しています。



3. リンゴは、他のメンバーと同じように観客から見えるように、高い台の上にドラマーを置くということを始めました。リンゴが1964年にエドサリバンショーに登場したとき、ビートルズの他の3人よりも高い位置で演奏し、物凄い数の聴視者に「ドラマーが存在する」ことを印象付けました。エルヴィスのドラマーは背中のコレクションを見ていたのです。


4. 「熱狂的ファン」のドラマーたちは、リンゴがラディック製のドラムを演奏していたことに気付き、すぐに楽器店に赴き、何千ものドラムセットを購入し、おかげでラディックはロックンロール・ロラムの代名詞になりました。



5. リンゴは録音されたドラムの音を変えました。『ラバーソウル』(1965/12/6日発売)の時代、ドラムセットのサウンドはよりクリアになり始めました。アビー・ロード・スタジオのエンジニアの助けられながら、リンゴは、ドラムのチューニングを下げるというドラムの新しいサウンドを普及させました。ミュート・リングで消音を行い、それぞれのドラムにマイクを置くことで耳元で聞こえるようにします。

 

6. リンゴはほぼ完璧なテンポを持っています。  これにより、ビートルズは50〜60テイクを録音し、最高のバージョンを得るために同じ曲の多数のテイクの異なる部分をひとつに編集できました。今日、電子メトロノームを使って行っていることを、  ビートルズはリンゴの店舗テンポを頼りにして、よく知られた名曲を何十回も行えたのです。 彼にこの能力が無かったら、ビートルズの録音はまったく違ったものになっていたでしょう。

7. ビートについてのリンゴの「感じ方」はポップ・ロックのレコード制作者やドラマーにとってのスタンダードとして機能しています。それはリラックスしたもので、退屈なものではありません。かっちりしているけど、いつだって息遣いが感じられる。 そして、どのタイミングでどのように叩くのかという決断は、リンゴの膨大な音楽的嗜好からきています。ほとんどのレコーディング・セッションでは、ドラマーのパフォーマンスは、他のメンバーにとっての指標として機能します。音楽スタイル、ダイナミクスさ、および感情は、ドラマーによってフィルタリングされます。ドラマーはピッチャーであるソングライターにとってのキャッチャーです。もしドラムのノリが悪目れば、他のメンバー演奏は、はなから決まってるようなものです。ビートルズにおいてリンゴにそのような問題があったことはほぼ皆無です。



8. .リンゴはドラムソロが嫌いです、これは多くのファンにとって評価ポイントとなりません。ビートルズ時代にソロは1回だけ。8小節のソロは『アビーロード』のB面の「ジ・エンド」で登場します。たしたソロではないと言う人もいるでしょうが、はたしてそうだろうか。電子メトロノームを126BPMに設定して、それをリンゴのソロと一緒に演奏すると、ふたつは正確に一致しています。
 


9. .リンゴの変拍子の演奏能力は、一般的な作曲から未知の領域へ分け入ることを手助けしました。2つの例をあげると、7/4拍子の「オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ」と11/8、4/4でリピートされる「ヒア・カムズ・ザ・サン」、コーラスでは7/8拍子です。
 

 

 

10. リンゴは多くの異なったスタイルの音楽への熟練は、例えば2ビートのスウィング(「ホエン・アイム・64」)、バラッド(「サムシング」)、R&B(「リーヴ・マイ・キッチン・アローン」や「タックスマン」)、そしてカントリー(『ラバー・ソウル』)、ビートルズがいろんな方向に音楽性を広げることをたやすくしました。

11. リンゴが芸名を持ってチャンスを待っているラッキーな男だったという考えは間違いです。実際には、実際には、 ビートルのプロデューサーのジョージ・マーティンがオリジナルのドラマー、ピート・ベストとの最初のセッションの後に不満を表明した時にポール、ジョージ、ジョンが、リヴァプールの最高のドラマーであると考えた人を雇うことを決定しました。彼の人格はおまけでした。



12. リンゴの力量が足らずビートルズの多くの曲で叩いていないという噂もまた間違っています。実際、彼は発表されたすべてのビートルズのレコーディング(『アンソロジー1』をのぞく)で演奏しています、次に挙げた曲を除いて。「バック・イン・ザ・USSR」と「ディア・プルーデンス」はリンゴが一時的にビートルズを脱退していたのでポールが叩いています。「ジョンとヨーコのバラード」ではリンゴが映画撮影でお休みのためふたたびポールが叩いています、そして1962年の「ラヴ・ミー・ドゥ」は セッションドラマーアンディ・ホワイトをフィーチャーしていました。



13. 
ビートルズが分裂してお互いから距離を置いていました。 ジョン・レノンは、彼の最初のソロ・アルバムのドラマーにリンゴを選びました。 かってジョンはこう言いました。「もし俺が何かやろうと思ったら、リンゴはどこへ行くべきかを知っている、そんな感じなんだよ」。 偉大なソングライターはドラマーにお願いしなくてもよかったのです、笑って頭を揺らすだけで。
 

 

 

ジョン・ブライアントのあとがき:
 
この記事は、リンゴを幸運なだけの平均的なドラマーとして描いたダラス・モーニング・ニュースの記事に答えて書いたものです。 現代のポップミュージックの文脈の中で書いていて、30年代、40年代、50年代のジャズドラマーとリンゴを比較するものではありません。確かにリンゴは高い台に乗った最初のドラマーではありませんでしたが、彼の視線は彼がバンドの同等のメンバーであると宣言しました。当時のドラマーはサイドマン扱いだったので、これは重要なことです。リンゴは「マッチド・グリップ」で演奏したりドラムを叩いたりする 「最初の」ドラマーではなかったが、ビートルとしての露出はリンゴを大衆へのリーダーにしました。