ミスター・タンブリン・マンができあがるまで | 鳥肌音楽 Chicken Skin Music

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FBでザ・バーズのデビュー・ヒット「ミスター・タンブリンマン」を「FB友達」のSさんが取り上げていらっしゃいました。バーズのデビュー・アルバムはメンバーじゃなくレオン・ラッセルなどのスタジオ・ミュージシャンがバック・トラックを作っていたともとれる内容にTさんが米ウィキを引用され”スタジオ・ミュージシャンを使ったのはデビュー曲の「ミスター・タンブリンマン」だけ”とコメントされているのを読んで、いや正確に言うとシングルのB面の曲(その時点では失念)もそうだったよなとコメを入れようと、今日がたまたま有休なのをいいことに、あらためてネットやCDのライナーなどを調べてるうちに、これは一回ディランのオリジナル(これもオリジナルと呼んでよいのかなんて疑問も)も含め時系列で整理してみようと思い立ってのエントリとなりました。なにを今更と思われるかもしれませんが、ぜひおつきあいを。

The Byrds Mr Tambourine Man Remastered


ザ・バーズのデビュー・シングル「ミスター・タンブリン・マン」は1965年4月12日に発売され全米、全英ともに見事に1位を獲得し、新しいサウンド「フォーク・ロック」のひな型としてその後の英米の多くのバンドに影響を与えていきます。

この「ミスター・タンブリン・マン」はボブ・ディランが作詞作曲した楽曲で、ディランによるシングルはなく65年の3月22日に発表されたアルバム『ブリング・イット・オール・バック・ホーム』の中に収録されていました。

ちなみにフォーク・ロックというのは、くだんのFBでSさんが「フォークロックとは何ぞや?と聞かれたらエレクトリックなバック演奏が付いたフォーク・ミュージックと辞書的に答えます。と、なるとビートルズ+ボブ・ディランの図式から誕生」と書かれているように、ディランなどの歌詞に意味があるフォーク・ミュージックと若者の心をガッチリつかんだビートルズのようなロックン・ロール・サウンドを融合したものとするならば。

 

ディランのアルバムの中の一曲に目をつけ、それをビートルズ・マナーのロックン・ロールに料理してカバーしたものをシングルとして発売したら大成功したと一瞬思ってしまうのですが、ディランのアルバムからバーズのシングルの発売までわずか20日たらず、スタジオで録音してレコードをプレスして流通に乗せるにはちょっと無理のある短さです。頭のシングルの写真を見てもらえば分かるようにちゃんとピクチャー・スリーヴのシングルになっています。ということは発売元のコロムビアとしても期待の新人だったと想像できますが、わずか20日では宣伝もなにもあったものではありません。

実際、バーズが「ミスター・タンブリン・マン」をスタジオで録音したのはいつなのか調べてみると65年1月20日にコロムビア・スタジオで録音されています。

これだったら録音からシングル発売まで3か月くらいありますから十分に余裕がありますね。うん、ちょっと待ってくださいよ1月20日ってディランが発表する前にバーズが録音していたことになりますよね、それってどうやって曲を知ったの?同じコロムビアだからディランがもっと前に録音していたやつを発表前に聴いていたのか?




ってことでまた調べてみるとアルバム『ブリング・イット・オール・バック・ホーム』の中の一曲として「ミスター・タンブリン・マン」が録音されたのは65年の1月15日と記録されています。うん、これだったらディランが先、でもこれまたたったの5日・・・。

それに、よくよく考えればバーズはコロムビアからのデビュー前にジェット・セットという名前で活動していてレコード・デビューを目指してスタジオでデモ音源を録音してます。そしてその音源はのちのちプレ・バーズとしてまとめられレコードやCDで発売されていて、その中に確か「ミスター・タンブリン・マン」もあったよなと。YOUTUBEで調べてみると出てきました、それもエレクトリック・バージョンとアコーステック・バージョンの2パターンもありました。


the byrds - Mr. Tambourine Man (The Preflyte Sessions)




この2曲が録音された日は特定できなかったのですが、このデビューを目指したスタジオ・セッションは64年の半ばから、コロムビアとの契約が決まる11月10日までの間行われたと書かれていますので、少なくともディランが『ブリング・イット・オール・バック・ホーム』セッションで録音する前になります。

では一体全体バーズは「ミスター・タンブリン・マン」をどうやって知ったのか?それを知るためにディランが最初にこの曲を作った時まで遡って調べてみたいと思います。

ことの起こりは1964年ディランと友人がニューヨークからロサンジェルスまで放浪の旅をします。ケルアックの「路上」にならいハッパ(マリワナ)を決めながらの放浪の途中でニューオリンズにたどりついたディランと友人はマルディ・グラを体験します。

Mardi Gras - Easy Rider


「友人」「放浪」「マルディグラ」といったキーワードから映画「イージーライダー」を思い出してしまうのですが、あの映画でもハッパをきめてマルディグラを体験しぶっとぶ姿が描かれていましたが、ディランはマルディグラの最中に「ミスター・タンブリンマン」を思いついたといわれています。

放浪の旅からニューヨークに戻ったディランは『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』のためのセッションを64年6月9日に行います。



録音にランブリン・ジャック・エリオットが立ち会っていたのですが、ディランはジャックに放浪の旅で書いた「ミスター・タンブリンマン」を歌うように促します。しかし歌詞を覚えていないジャックは歌うことは断ったもののリフレインのコーラスに参加したバージョンがこの時に録音されます。

セッションでは14曲が録音され8月8日に発売されますが、アルバムに収録されたのは11曲のみで「ミスター・タンブリン・マン」はアルバムから外されてしまいます。

この時に外されたジャックとの「ミスター・タンブリン・マン」、および一人で歌ったものが当時、ディランの楽曲を管理していた出版社ウィットマークの管理楽曲として登録されます。

ブートレグ・シリーズも買っているディランのファンの方でしたらピンとくるでしょうが、シリーズ#9として発売された『ザ・ウィットマーク・デモ』で聴くことができる「ミスター・タンブリン・マン」はこの時に録音された一人で歌ったテープで、ジャックと歌ったバージョンは#7の『ノー・ディレクション・ホーム』で聴くことのできるバージョンです。



ここで話をバーズに移します。64年ニューヨークのコーヒー・ハウスでフォーク歌手として活動していたジム・マッギン(後にロジャー・マッギンに改名)は、64年にアメリカに上陸し一大ブームを引き起こしていたビートルズに強い感化を受けロックンロール・バンドを目指し、知り合いのフォーク歌手デヴィッド・クロスビーやジーン・クラークなどを誘いジェット・セットを結成します。

この時にジェット・セットのマネージャーになったのがジム・ディクソンでした。

エレクトラでディラーズなどのブルーグラスのレコードを製作していたディクソンはディランがお気に入りでディラーズのアルバム『Live!!!! Almost!!!』ではディランの「ウォーキング・ダウン・ザ・ライン」をカバーさせています。



この「ウォーキング・ダウン・ザ・ライン」も前述のブートレグ・シリーズ#9『ウィットマーク・デモ』に収録されています。つまり出版社ウィットマークの管理楽曲だったということです。そしてジェット・セットのデモを録音していたディクソンはレコード会社への売込みのひとつの話題作りとして自分の大好きなディランの歌を歌わせようと考えたのではないかと思います。

そして64年8月のある日ディクソンはウィットマークで手に入れた「ミスター・タンブリン・マン」のアセテート盤を持ってスタジオに赴きディランの未発表音源だとしてジェットセットに聴かせます。ジェットセットのメンバーは聴かされたデモ音源にピンときませんでしたがディクソンのプッシュもあって一応自分たちのレパートリーに組み入れます。



先ほど「ディランの未発表音源だ」と言ったとか勝手な想像で書いてしまいましたが、実際はジェット・セットが聴く前の月の7月24日、ニューポート・フォーク・フェスティヴァルで新曲として披露されていました。





閑話休題
こうしてジェットセットは「ミスター・タンブリン・マン」をカバーし先にアップしたエレクトリック、アコースティックのふたつのデモも録音します。しかしカバーにあんまり乗り気でないジェットセットたちにやる気を出させるために、ディクソンはコネを使いジェットセットのライヴにディランを誘い「ミスター・タンブリン・マン」を聴かせます。ディランはジェットセットの演奏に驚き「わぉ、踊れるぜ!ow , you can dance to that !」というコメントをジェットセットに残します。

The Beatles - I Should Have Known Better


このディランのコメントに勇気づけられたジェットセットは8月に封切られた映画「ア・ハードデイズ・ナイト」での「恋する二人」の演奏シーンでジョージ・ハリスンが弾いているリッケンバッカーの12弦ギターもすぐさま演奏に取り入れ、さらに自分たちのフォーク・ロック・サウンドを改良し11月10日にディランと同じコロムビアと契約を結びます。そして新たなメンバーとしてディクソンの推薦のクリス・ヒルマンとマイケル・クラークを加えたジェット・セットはその月の感謝祭の日にバンド名をザ・バーズと改めます。

そして、コロムビアの歌姫ドリス・デイの息子でブルース&テリーやリップコーズで数々のサーフィン・ヒットを生み出し、コロムビアのプロデューサーとして雇われたばかりのテリー・メルチャーがアルバムのプロデューサーとして起用されます。

テリーはアルバムの録音に先駆けてディラン楽曲という話題性のある「ミスター・タンブリン・マン」をシングルとして発売することを決めます。こうして65年1月20日にセッションが行われることとなりますが、バーズのメンバー特にドラムのマイケル・クラークの演奏能力に疑問を抱いていたメルチャーは自分がサーフィン・ヒットを放っていたころにお世話になったドラムのハル・ブレインなどのセッション・ミュージシャンを起用することを決めます。

ジェット・セットのデモにあるマルディグラでの行進を意識したかのようなマーチング・バンド然としたマイケル・クラークのドラムがロックンロールにはほど遠く、きっと気に入らなかったのじゃないかと想像いたします。

こうしてハル・ブレインのドラム、ビル・ピットマン(グレン・キャンベルという資料もあり)、ジェリー・コールのギター、ラリー・ネクテルのベース、レオン・ラッセルのピアノそしてザ・バーズ・サウンドの要となっていた12弦ギターだけはロジャー・マッギンに任され、マッギン、クラーク、クロスビーのボーカルというメンツで「ミスター・タンブリン・マン」とB面用の「君はボクのもの」が3時間で録音されます。

録音に際しメルチャーがハル・ブレインらいわゆる「レッキング・クルー」の面々に指示したのはレッキング・クルーとの関わりも深いビーチボーイズのヒット曲「ドント・ウォーリー・ベイビー」を頭に入れてアレンジをすること。

The Beach Boys - Don't Worry Baby (HQ Stereo)1964/5/11


ご存知のように「ドント・ウォーリー・ベイビー」はビーチボーイズのブライアン・ウィルソンがフィル・スペクターによるプロデュースで発売されたロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」に感化され作曲した曲であり、「ビー・マイ・ベイビー」で演奏していたのはハル・ブレインらレッキング・クルーでした。

バーズのというかレッキング・クルーの演奏する「ミスター・タンブリン・マン」は前述したように英米でNO.1に輝き「フォーク・ロック・サウンド」のひな型となります。

ということでフォーク・ロックについてはディランとビートルズの融合とロックの教科書には書かれていますが、それに加えウォール・オブ・サウンドやサーフィン・サウンドといったカリフォルニア・サウンドも大きな要素になっていたことも忘れてはいけないと個人的に思っています。実際バーズに続いてヒット曲を出したフォーク・ロックの歌い手たち、ソニー&シェール、バリー・マクガイア、ママス&パパス、PFスローンといった人たちのバックにはレッキング・クルーが絡んでいます。

シングル用のセッションにはレッキング・クルーを用いたメルチャーですが、アルバム用の楽曲の収録にはバーズのメンバーのみで臨んでいます。ただしセッションは4月22日までの3か月間に渡っており、「ミスター・タンブリマン」をお手本にするように、かなりのダメ出しをされながらの録音ではなかったのかと想像いたします。

The Byrds - I Knew I'd Want You



「ミスター・タンブリン・マン」でリード・ボーカルをとったマッギンは「ビートルズの出現が、僕にとっての状況を全く変えた。2つの要素を溶け合わすのにうってつけの領域がみつかったんだ。レノンとディランをひとつに合わせたら・・・・今までそんなことをした奴はいなかった」とビートルズからの影響を公言するマッギンですが、ビートルズの影響によって作られた「ミスター・タンブリン・マン」は「倍返し」でビートルズにも影響を与えることとなります。

ひとつはサウンド面。アルバム『ミスター・タンブリン・マン』の発売後に録音された『ラバー・ソウル』にはバーズからの影響が顕著な曲が含まれています。




ふたつめはファッションへの影響、『ミスター・タンブリン・マン』のバーズの服装の影響かと思われるのですが、それまで揃いのスーツを着ていたビートルズがラバー・ソウルでは四様の個性を出し始めます。また歪んだ写真もバーズの影響ではないかと思うのですが。












おまけ


The Byrds - 1964 Preflyte