大瀧詠一の日本POPS伝Ⅱ 番外編 Let's Ondo Again ! | 鳥肌音楽 Chicken Skin Music

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本編の文字おこしも遅々として進んでいないのに、いきなり番外編とはコレいかに・・・
日本POPS伝のエントリに取り組んでいるせいでここのところ大滝詠一師匠関連の音源を何かと聴きなおしています。さんざん今まで聴いてきた楽曲のはずなのになんで今まで気がつかなかったのと愕然としてしまったお話を。まずは78年発売のナイアガラ史上最大の問題作『Let's Ondo Again』からタイトル曲になっている「Let's Ondo Again」をお聴きください。

アミーゴ布谷 / Let's Ondo Again


さて「日本POPS伝Ⅱ」をここまでお読みいただいた方でしたらこの「Let's Ondo Again」を聴いた時”アレッ”と思われなかったでしょうか。イントロのあたりなのですが・・・。このオリジナル・バージョンだとちょっと分りにくいかもしれませんが81年に『ナイアガラBOX』のためにリミックスされたバージョンだともう少し分りやすくなっています。イントロに注意してお聴きください。

アミーゴ布谷 / Let's Ondo Again ’81MIX


お気づきですか。オーケストラの壮大なマーチ~三味線の合奏~横笛の音色~スチール・ギターというイントロなのですが、最初のマーチは「軍艦マーチ」、次の三味線は「三味線ブギウギ」かな、その次の横笛は「維新マーチ(宮さん宮さん)」そして最後のスチール・ギターはマヒナ?というわけで明治維新から昭和の高度経済成長期までの約100年間の日本のPOPS史をわずか10秒ほどに凝縮してるんですね、今更ながらに恐るべしというしかありません。

FMファン誌上で相倉久人さんとの対談という形で「分母分子論」(「文藝別冊 大瀧詠一」に再掲載)が文字となったのが83年、その雛形ともいえる「私論 日本の流行歌の系譜」(「All About Niagara」に再掲載)がD-Dayに掲載されたのが79年ですから、それよりも1年前に大滝は「分母分子論」のひらめきをレコードに刻んでいたのです。78年のオリジナル・バージョンはギターおよびキーボードでメロが奏でられていたのでぼんやりとしていた「三味線ブギウギ」?と「宮さん宮さん」が「私論 日本の流行歌の系譜」を経ることによってより強化、具象化されたのが81MIXなのではないでしょうか。

'78&'81ver. イントロ聴き比べ


あと、「Let's Ondo Again」で忘れていけないのがこの歌がチャビー・チェッカーの「レッツ・ツイスト・アゲイン」のカバーだということです。

Chubby Checker / Let's Twist Again


本家の歌詞をあらためて見ると、「let's Ondo Again」の1番の日本語詞はいちおう直訳に近かったんですね。向こうのダンス音楽であるツイストを日本に持ち込んで日本のダンス音楽である音頭に変換してしまうというこれまた曲自体が「分母分子論」な曲なんですよね。あのイントロにこのカバー、大滝はいったいどこまで意識してこの曲を作ったのでしょうか?

それにしても30年かかってようやくこんなことに気づいてますからね・・・・まったく釈迦の手のひらの上の孫悟空のようでなんともお恥ずかしい限りです。

おまけ
気を取り直してアルバムの中でも大好きな一曲「禁煙音頭」をどうぞ。「スモーキン・ブギ」+「お座敷小唄」+「ヘルプ・ミー・ロンダ」+「煙が目にしみる」+「ハイサイおじさん」ってなぁ、ピーター・バラカンが日本で一番好きなアルバムっていうのも納得しますね。『ロンバケ』が『サージェント・ペパー』ならこのアルバムはさしずめ『リボルバー』か(笑)



リード・ボーカルは鈴木雅之、コーラスは山下達郎、今思えばほんとに豪華なのに当時500枚しか売れなかったとは、トホホ。