名古屋ネタが続きます。


最近、名古屋在住時に現地で深夜放送されていたボクシングの録画を見直しています。

全部ではなくセレクトしながらだけど。


ほぼほぼCBC(TBS系)の畑中ジム興行。

東海テレビ(フジ系)は、石原英康さんの2度目の世界戦興行を最後に放送されなくなった気がする。

少なくとも自分の滞在時は。


やはりその後を担った中部のスターは大場浩平で、それはセミだろうがメインだろうが関係ない存在感だったと思う。

(セミの大場浩平がフルラウンドで、メインの杉田竜平さんがダイジェストなんてこともあった)


そしてその中で頻繁に出てくる気になるフレーズ。



「畑中ジムのエース」


2005年7月の放送では杉田竜平さんのことを「畑中ジムのエース」と言っている。

中野博さんがチャンピオンだった時はどうしていたんだろう。

因みにその時の放送の大場浩平は「スペースKジムのエース」(笑)


余談だけどテレビでは、この時の杉田竜平さんは池仁珍との世界戦が決まりかけていたが、池の指名戦の都合で流れたと言っている。

8月に行われる指名戦の後でタイトル挑戦らしい。

しかしこの日のリングコールではWBCスーパーフェザー級19位。

それなのに前哨戦って…

池仁珍は翌年1月に越本隆志さんに一度王座を追われることになります。


翌年2月に杉田竜平さんがランディ・スイコの東洋太平洋王座挑戦に敗れて引退後は、岡橋龍一さんが新エースとして名乗りを上げる形となった。

前にも書いたが、2006年12月に行われた名古屋のランカー5人を集めた興行で、世界ランカー(WBC15位)大場浩平を押しのけメインを飾っている。

この岡橋さん、2006年7月の試合後のテレビインタビューでは、気になる選手として「大場浩平」の名を挙げていた。

当時の日本スーパーフライ級ランキングは大場浩平1位、岡橋さん3位だったけど、対戦の機運というのは特になかったような…

岡橋龍一さんは「畑中ジムのエース」として興行のメインを張り、大場浩平は我が道を行くということか。

でも岡橋さんってこの後どうなったんだっけ?

2008年3月の興行には出てたけど、次からは出ていない。ランカーとして負けぬままにフェードアウトしてしまったのだろうか。


というか和賀、大場の両チャンピオン時代には畑中ジムのエースというフレーズも聞かなくなっていたような気がする。

それに当時の畑中ジムのトップは東洋太平洋ミニマム級チャンプの和賀寿和さんだけど、和賀さんは畑中ジム移籍前のコパン星野時代にテレビで既に「やんちゃ王子」なるニックネームを付けられていて、エースと呼ばれることはなかったんだな。


そんな「畑中ジムのエース」の称号が(テレビ番組内で)復活するのは大場浩平真正ジム移籍後、後の日本フェザー級チャンピオン林翔太さんによって。

しかしCBC、ホントこのフレーズ好きだな(笑)


しかし林翔太さん、2011年3月のズリカンナン(後にリベンジ)、7月の竜宮城と連敗してその座を降りると、急に無敗とはいえノーランカーの田中祐士さん(後のWBCバンタム級ユース王者)が担ぎ出されることになる。

敗れたとはいえまだ日本ランカーに留まっていた林翔太さんを差し置きメインへの抜擢は、二人の番組内での扱いの違いを如実に表した。


だがそんな二人を簡単に飛び越えていく超新星の出現によって、「畑中ジムのエース」の歴史は幕を閉じる。


田中恒成


デビュー戦は田中祐士のユース初防衛戦のセミで世界ランカーを破り、2戦目からはメイン。

最短で世界を目指すスーパーホープに「畑中ジムのエース」の称号は必要なく、自分の関東転勤とほぼ同時に消滅してしまったのではないだろうか ー


そう思うと自分の名古屋在住の歴史は「畑中ジム、エースの歴史」と言えたりして(笑)




ところで2009年11月のデビュー戦から2014年までのほとんどをここで戦った田中祐士さんが”名古屋市国際会議場の申し子”だとしたら(笑)、2008年11月の畑中ジム移籍2戦目から2014年11月まで19戦連続、通算22度リングに立った林翔太さんは”名古屋市国際会議場の裏シンボル”ではないかと思ったりする。

かつてはエースと期待されながら、後輩二人の前座を粛々と務め、その果てに辿り着いた日本王座。

獲得したのも約2年振りの名古屋市国際会議場でした。


田中恒成が世界戦線に出てからは、タイトルマッチの隙間の転級初戦でしか使われていない畑中ジムの名古屋市国際会議場。

かつては他ジムの刈谷興行とよく同日バッティングしていた(←皮肉)畑中ジム興行の常宿だった。


それなのに畑中建人は一度しかこのリングに上がっていないのだから…