今日は6月17日………


あぁそういえばちょうど30年前、1991年の6月17日は鬼塚勝也さんの日本タイトル3度目の防衛戦だったなぁ…と、ふと思い出す。


後楽園ホールで生観戦したんだよな。

当時はまだ ”ジュニア・バンタム” 。

対戦相手は花形ジムの北澤鈴春さん。


平成三羽烏なんて言われていたけど、当時は既にピューマ渡久地さんが脱落していたので、西の辰吉丈一郎さんと並び、真に無傷のピカピカのスーパーホープ。


もちろん鬼塚さんを目当に後楽園ホールに向かったのだけど、北澤さんが鬼塚さん相手にどんな戦いをするか、観戦初心者ながら少し注目していたと記憶している。


自分の初観戦は1991年3月14日の東京武道館。

指名挑戦者エルビス・アルバレスを迎えたレパード玉熊さんの2度目の防衛戦。

高校生、バイトで貯めて買ったアリーナチケット。

メインの結果は残念だったけど、その前座に出場していた北澤さんに何か印象が残っていたのだろうか…


因みに後楽園ホールデビューは、その4日後の3月18日。


鬼塚勝也vs中島俊一

横田広明vs西條学


お互い立場を変えたダブルリマッチ。


もうあんな事は2度とないであろう、超スジ詰め状態の後楽園ホール。

南側入口の中通路には3列ビッシリ並び、一度腰を下ろしたら動く事が出来ない。

自由席券で入場した自分はその一列目で身動き取れずに戦況を見つめた。

バルコニーにも落ちそうなくらい人が溢れていたのではないかと錯覚する。

主催者発表の観客数は3500人!

暗闇を抜けた平成黄金時代幕開けの熱気に溢れていた。


見るもの全てが初めてで、そんな時に出会った二人が戦う場にどうしても立ち会いたいと握りしめたチケット。

いやぁウブだったなぁ〜

土曜日にホールにチケットを買いに行くと、運が良ければ笑点の収録見れたし。

だいたいが撮り溜めだったんで、大喜利の時は当たりでマジックショーとかの時はハズレとか(笑)



でもこの試合、自分の記憶の中では鬼塚さんがずっとロープを背負ってたという印象が残っているんだよなぁ。

決して追い詰められている、なんて訳でなく余裕を持って対処しているんだけど。

実際に見直してみると当時の感想と違うのだけどね。


最後は右アッパーで1度目、ガードの上から打たしても、ジャックナイフの様なボディを突き刺して2度目、3度目のダウンを奪って5RKO勝利。

でもガードを固めて待つ様は後年の戦い方を思い起こさせ、この時期の突然のスタイルチェンジはもしかしてこの頃既に眼の変調があったのかなと疑ってみたり。

まぁ全部結果論だけど。


そして翌年4月の王座決定戦での世界タイトルへと繋がって行くのだけど、その前座で自ら返上した日本王座を同じく決定戦で獲得した北澤さん。

これもまたドラマなのかな。

二人とも網膜剥離で引退したことも含めて…



当時は第2月曜のダイヤモンドグローブ(フジ)と第3月曜のガッツファイティング(TBS)。

第一土曜日のダイナミックグローブ(日テレ)、そして月一火曜のエキサイトボクシング(テレ朝)と、ボクシング放送の曜日は固定だった。


おかげで西暦年月日を言われたら、ボクシングから逆算して曜日を答えられるなんて特技が出来ちゃたよ。

90年代限定だけど。


そんな個人的に熱かった90年代の思い出の一部…