三溪園 大池
ブックマーク:★公園
三溪園 外苑の続きです。
日本庭園の見所はやはり池など水辺の風景ですね。
三溪園の大池もこの庭園の中心的存在です。
池に浮かぶ島や橋、池から見える三重の塔にも癒されます。
エサもあげないのに寄ってくるコイにも和みます。
有名なスポットだけあって外国人観光客も多いです。
また違う季節の三溪園も見てみたいと思いました。

開園時間 9時~17時(入園は閉園の30分前まで)
休園日 12/29~12/31
入園料金 500円
⇒
三溪園 外苑の続きです。
日本庭園の見所はやはり池など水辺の風景ですね。
三溪園の大池もこの庭園の中心的存在です。
池に浮かぶ島や橋、池から見える三重の塔にも癒されます。
エサもあげないのに寄ってくるコイにも和みます。
有名なスポットだけあって外国人観光客も多いです。
また違う季節の三溪園も見てみたいと思いました。

開園時間 9時~17時(入園は閉園の30分前まで)
休園日 12/29~12/31
入園料金 500円
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三溪園 外苑
ブックマーク★レトロ系建物
三溪園 内苑の続きです。
とにかく貴重な建築物が沢山ありますが紹介しきれません。
東側の外苑でランドマークとなっているのは何と言っても山の頂上にある三重の塔ですね。
敷地の広い範囲で見る事ができます。
また三重の塔付近からも三溪園の見晴らしの良い風景を見る事ができます。
外苑でも流れる川や橋など水辺の風景が見られます。
敷地の奥の方に合掌造りの立派な建物があります。
江戸時代に造られた農家の住宅ですが、ダムの底に沈む運命だった物を寄付された物だそうです。
歴史的建物が壊されたり廃棄されるなら是非ここに移設して欲しいですね。

開園時間 9時~17時(入園は閉園の30分前まで) 休園日 12月29日、30日、31日
入園料金 大人500円
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三溪園 内苑の続きです。
とにかく貴重な建築物が沢山ありますが紹介しきれません。
東側の外苑でランドマークとなっているのは何と言っても山の頂上にある三重の塔ですね。
敷地の広い範囲で見る事ができます。
また三重の塔付近からも三溪園の見晴らしの良い風景を見る事ができます。
外苑でも流れる川や橋など水辺の風景が見られます。
敷地の奥の方に合掌造りの立派な建物があります。
江戸時代に造られた農家の住宅ですが、ダムの底に沈む運命だった物を寄付された物だそうです。
歴史的建物が壊されたり廃棄されるなら是非ここに移設して欲しいですね。

開園時間 9時~17時(入園は閉園の30分前まで) 休園日 12月29日、30日、31日
入園料金 大人500円
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三溪園 内苑
ブックマーク★レトロ系建物
三溪園は横浜の実業家、原 三溪によって、1902年(明治35)頃から庭園の造成が始められ、
1906年(明治39)に一般に公開されました。
また京都や鎌倉などから古建築を移設し、【重要文化財12棟・横浜市指定有形文化財3棟】
1914年(大正3)に外苑、1922年(大正11)に内苑が完成するに至りました。
敷地の中央、池のある辺りから西側は住まいを中心とした山に近い傾斜地は内苑と呼ばれます。
川や池に架かる欄干のある橋や大きな玄関車寄を備える木造建築等、興味深い建築物が見られます。
開園時間に合わせて行きましたがそれでも観光客など人が絶えないです。
入れ代わり立ち代わり人が通るので橋の写真1枚撮るにも20分くらい掛かってます。

開園時間 9時~17時(入園は閉園の30分前まで) 休園日 12月29日、30日、31日
入園料金 大人500円
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三溪園は横浜の実業家、原 三溪によって、1902年(明治35)頃から庭園の造成が始められ、
1906年(明治39)に一般に公開されました。
また京都や鎌倉などから古建築を移設し、【重要文化財12棟・横浜市指定有形文化財3棟】
1914年(大正3)に外苑、1922年(大正11)に内苑が完成するに至りました。
敷地の中央、池のある辺りから西側は住まいを中心とした山に近い傾斜地は内苑と呼ばれます。
川や池に架かる欄干のある橋や大きな玄関車寄を備える木造建築等、興味深い建築物が見られます。
開園時間に合わせて行きましたがそれでも観光客など人が絶えないです。
入れ代わり立ち代わり人が通るので橋の写真1枚撮るにも20分くらい掛かってます。

開園時間 9時~17時(入園は閉園の30分前まで) 休園日 12月29日、30日、31日
入園料金 大人500円
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大黒ふ頭中央公園
ブックマーク:★巨大建物
大黒ふ頭、横浜ベイブリッジのたもとにある公園です。
野球グラウンドとテニスコートが中心の運動公園ですが
行き交う船や海辺の風景も見られます。
首都高速大黒パーキングエリアに隣接していますが一般道に一旦出なければ来られません。
昔、横浜スカイウォークに遊びに来た事があるので再び寄ってみたのですが・・・
2010年(平成22年)で閉鎖されてました! (゜ロ゜;)
自分は一般道、国道15号から大黒大橋を渡って大黒ふ頭に来ました。
大黒ふ頭中央公園からベイブリッジの国道357号を渡って本牧方面へ行く事ができます。
撮影日は雲が多くて残念でした。
今回はグラデーションレンズフィルターを使用しています。

市営バス「大黒ふ頭」「スカイウォーク」下車
⇒
大黒ふ頭、横浜ベイブリッジのたもとにある公園です。
野球グラウンドとテニスコートが中心の運動公園ですが
行き交う船や海辺の風景も見られます。
首都高速大黒パーキングエリアに隣接していますが一般道に一旦出なければ来られません。
昔、横浜スカイウォークに遊びに来た事があるので再び寄ってみたのですが・・・
2010年(平成22年)で閉鎖されてました! (゜ロ゜;)
自分は一般道、国道15号から大黒大橋を渡って大黒ふ頭に来ました。
大黒ふ頭中央公園からベイブリッジの国道357号を渡って本牧方面へ行く事ができます。
撮影日は雲が多くて残念でした。
今回はグラデーションレンズフィルターを使用しています。

市営バス「大黒ふ頭」「スカイウォーク」下車
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明治維新
アフリカ、インド、中国と着々と植民地を増やすイギリスは、
イギリス東インド艦隊を最後のターゲット、日本へと移動させました。
(1858年には米、英、仏、蘭、露と修好通商条約 が締結)
1862年、横浜では薩摩藩の行列に割り込んだイギリス人を殺傷する事件が発生。(生麦事件)
1863年、薩摩藩が犯人の引渡しに応じなかった為、東インド艦隊7隻は薩摩藩を攻撃。(薩英戦争)
しかし薩摩藩に不意を突かれたイギリス艦は錨の鎖を断ち切って逃走。
(船乗りが錨を捨てて逃げると言うのは屈辱的な行為。後に錨は御丁寧にイギリスに返還されたとか)
艦隊の戦列は乱れ、旗艦ユーライアラスが大破。その他2隻が破壊され航行不能。
旗艦艦長、高級士官を含む死者13人、負傷者50人(後7人死亡)の被害。
薩摩藩側の戦闘での人的損害は砲台で1名死亡、負傷者9名でした。
イギリスは武力で日本人を簡単に制圧できると言う考えを改めなければなりませんでした。
一方薩摩藩は目の当たりにしたイギリスの最新鋭の武器を手に入れたいと思い始めました。
同じ1863年、長州藩が外国人排除!と無謀にもアメリカ、フランス、オランダ軍艦を砲撃し
イギリスを含めた4国と戦争し惨敗。(下関戦争)
力の差を思い知った長州藩は藩の近代化の為イギリスに接近します。
薩英戦争で世界最強のイギリス海軍が敗退した件は当時のニューヨーク・タイムズ紙にも載りました。
イギリスは一連の事件で日本の植民地化は困難だと悟りましたが、
統一政府である筈の幕府が藩の統制もできてないと気が付きました。
そして自らの手を汚さず日本人の手でイギリス式の国家に作り直す計画を実行に移します。
イギリス駐日公使ハリー・パークスは幕府とは別に薩摩藩・長州藩と友好関係を結び、
第14代将軍徳川家茂が病死すると、後継者に関する情報を収集させ政変の準備にかかります。
イギリス外交官アーネスト・サトウは諜報活動中、薩摩藩・長州藩の他、坂本竜馬らと接触します。
(坂本竜馬、西郷隆盛はアーネスト・サトウが発表した「英国策論/Japan Times横浜」に影響を受けたのです。)
莫大な資金援助及び武器商人グラバーによって倒幕の戦い(戊辰戦争)に勝利をもたらします。
工作員アーネスト・サトウと親しかった下級武士が明治新政府の首脳となったのは当然の結果ですね。
ちなみに明治天皇政府を最初に承認した外国人は当事者イギリス駐日公使パークスです。
明治維新後、日本が近代国家として目標としたのは当然イギリスでした。
当時イギリスは国力、政治・経済・社会制度等、あらゆる分野で世界トップレベルであり
日本の重要な貿易相手国となりました。
イギリス王室にならった天皇制、二院制による議会政治、
鉄道、ガス燈、蒸気機関、船舶等イギリスから直輸入された物は計り知れません。
地下鉄、赤いポストの郵便制度、交通システムや社会制度、施設の多くは、イギリスに倣ったものです。
当時イギリスの日本貿易シェアは75%、
取引はオリエンタル・バンク横浜支店(英国東洋銀行)主導で行われました。
武器商人グラバーはオリエンタル・バンクの代理人でもありました。
彼の功績を称え長崎には銅像が立ち、外国人には珍しく勲章を授与されました。
オリエンタル・バンクが倒幕の為に投資した資金も充分元が採れた事でしょう。
そして日本は列強の一員として成長し世界史の舞台へと登場するのです。
※明治維新において日本史では省略されている外国人の働きを加えて分かりやすくしたつもりです。




























