南京大虐殺 | 雨 風 呂

南京大虐殺

 

 

・否定論の証拠
 ①「南京大虐殺」を著書により最初に伝えたとされる豪人記者、ティンパーリは
  月1000ドルで雇われていた中国国民党中央宣伝部顧問であった事が判明しています。

 ②南京には欧米の在外公館などが存在し、各国の特派員も大勢いたのに
  大虐殺があったと世界に報じられてはいません。

 ③占領される直前の南京市民は約20万人ですが
  どうやって南京大虐殺で30万人殺せるでしょうか?
  仮に20万人しか殺してなかったとしても南京市が全滅している筈です。
  
 ④日本軍は列強の軍隊の中でも世界も認める極めて規律正しい軍隊でした。
  一般市民を傷付ける事なく、軍人同士の戦いに徹していました。
  それは武士道精神から来るもので大陸の民族間の戦いとは意識が異なっていました。


  当時の報道写真には南京市民が日本軍兵士と和気あいあいと写っている日常風景が大量にあります。
  中国人が老婆に「日本人はひどい事をしたでしょう?」と聞いても
  「日本人はやさしかったよ!ひどいのは人民解放軍の中国人だ!」と言う動画がいくつも存在します。


・中華民国総統 蒋介石の証言
田中正明氏は、戦後、日米安全保障条約を積極的に支援し、当時の日本の岸首相の私的ブレーンでした。
その田中氏は、岸首相からこれから台湾に行って、対中国戦で敵将であった中華民国の蒋介石総統と会い、
来るべきアジアの平和について日中で協議する準備をするよう依頼されました。
中華民国の実務者との協議の後、蒋介石総統との会見が叶い、
その席上、台湾の何應欣将軍を初め多くの政府要人が同席している中で、
田中氏は蒋介石総統と親しく言葉を交わす事ができました。

宴の最後に、田中氏は蒋介石総統に御礼の挨拶と共に次の様に告げました。
「私は、両国が不幸な戦争に至る前、1936年2月に松井石根と二人で、
閣下にお目にかかったことがございます」と。
蒋介石総統は「松井石根」という名を耳にした瞬間、顔色が変わり、そして目を赤くし涙ぐんで、
「松井閣下には誠に申し訳ないことをしました。南京に大虐殺などありはしない。
ここにいる何應欣将軍も軍事報告の中でちゃんとそのことを記録してあるはずです。
私自身も当時、大虐殺などという報告を耳にした事はない。松井閣下は冤罪で処刑されたのです」
と言いながら、田中氏の手を二度三度ときつく握り締めたという。

かつて南京は中華民国の首都でした。
蒋介石総統は撤退するまでその南京で指揮をしていました。
日本の対戦相手だった国の最高責任者が、こう明言したのです。
実際に南京で日本軍と戦った蒋介石の言にこそ、世界は謙虚に耳を傾けるべきです。