10月09日はハングルの日
ハングルは、15世紀の半ば、李朝の王、世宗(セジョン)の時代に
「訓民正音(フンミンジョンウム)」の名で公布された。
母音と子音を組み合わせた合理的な表音文字で
漢文を読めない庶民にも分かりやすいようにした画期的な発明であった。
ところが、中国文化(漢文)ばかりをありがたがる朝鮮の支配者階級は、
かたくなに「漢文」しか使おうとしなかった。
せっかく独自の文字を発明したのに、それを「諺文(おんもん)」と呼び、
知識のない者や女・子供の文字だとして、公的には使おうとしなかったのだ。
《政治も法律も支那に模倣、官吏の文書にハングルを交えることを禁じ
学識なき者、婦女子のほかは、男子としてハングルを読んだり書いたりするのは一大恥辱》
福沢諭吉(1835~1901年)は、朝鮮の改革・進歩、文化の発展のためには、
庶民にも読みやすいハングルを普及させて識字率を上げることが肝要だと考えた。
福沢は、自らハングルの活字を特注して作らせ、門下の井上角五郎を京城へ派遣する。
福沢諭吉の頭にあったのは、日本語の「漢字かな交じり文」だ。
漢字のみの漢文や、ひらがな、カタカタのみの文は読みにくいが双方が交じると読みやすい。
漢字は表意文字なので文意がつかめるからだ。
福沢らは漢文志向が強かった当時の朝鮮に、漢字とハングルを交ぜた文を根付かせ、
庶民にも読みやすくしようと考えたのである。
そして、井上は、朝鮮人語学者の協力を得て、明治19(1886)年、形は少し違ったが、
京城でハングルを入れた初の新聞『漢城周報』(週刊)の発刊にこぎつける。
新聞は国王の認可を受け、政府の機関が発行所となったもので、
朝鮮社会に与えたインパクトは大きかった。
29年には朝鮮人の手によってハングルのみの独立新聞が発行される。
日本統治時代、ハングルは普通学校(小学校)の教科書に載り、
朝鮮の子供たちに普及してゆく。
日本が建てた初等教育の学校は、明治45年に500校あまり
(児童数約6万6千人)だったが、「一面(村)一校」を合言葉に地方に広がり、
昭和11年には、約2500校・児童数約93万人→16年、約3700校・約170万人と急増。
朝鮮総督府は、普通学校で教える朝鮮語で、ハングルのつづりを統一するため、
朝鮮語学者の協力を得て昭和5年に、諺文綴字法を公布。正書法を完成させてゆく。
戦後の韓国・北朝鮮は、民族意識の象徴としてのハングルを重んじ、
中国の文化的支配の象徴、漢字を排除するようになる。
韓国では漢字教育をほとんど受けなかった「ハングル世代」が大多数を占め、
現代では自分の名前すら漢字で書けない人も多くなってしまった。
