台湾侵攻⚔金門島の戦い
かつて中国は実際に台湾に侵攻した事があります。
共産党軍は大陸をほぼ支配し、国民党軍は台湾に撤退しました。
中華民国中央銀行の金、約3億ドル以上が軍艦に積まれ、
北京の博物館に保管されていた中国歴代王朝の宝物数十万点が、
数千年の歴史を持つ文化財が台湾海峡を渡りました。
共産党軍は台湾に撤退した国民党軍をせん滅すべく
まず台湾島手前の金門島に上陸しました。
(台湾は日本が50年間民地治した後、戦後に中華民国に返還されました。)
金門島は台湾海峡の間にある小さな島の1つです。
中国本土の都市からはわずか10kmしか離れていません。
晴れた日には中国本土から金門島の海岸線が肉眼で見える距離です。
1949年10月、金門島の向いの中国本土の海岸に共産党軍が集結し始めました。
しかし共産党軍には致命的な問題点がありました。
共産党軍は今まで大陸の内陸でゲリラ戦と陸上戦だけをしてきました。
兵士を金門島まで運ぶには船が必要なのに軍の船は一隻も無かったのです。
そこで共産党軍は近くの海岸の村から木造船と漁船を調達しました。
夜10時を過ぎて闇の中で数百隻の船が一斉に金門島に向かって動き始めました。
一隻に30人40人ずつ詰め込まれています。立ちっぱなしの兵士も居たそうです。
9000人の共産党兵士が複数の海岸に分散して上陸をしました。
海岸の防御線を突破した共産党兵士たちは内陸へ進みいくつかの村を占領しました。
しかし補給も無く、弾薬が切れ、食料、水が無くなりました。
隠れていた共産党軍も国民党軍の戦車部隊と歩兵にあぶりだされて
最終的に海岸まで撤退しました。
最初に上陸した船が戻らなければ第2波の援軍は来ません。
ところが海岸で目撃したのは衝撃的な風景でした。
潮が引き、海岸だった上陸地点が広大な泥地に変わっていたのです。
数百隻の船が泥の上に乗り、動く事ができません。
無知な共産党軍は潮の満ち引きを知らなかったのです。
夜が明けると国民党は干潟に座礁した共産党の船を全て焼き払いました。
共産党上陸軍9000人のうち約3000人が戦死しました。
残りの約5000人以上が捕虜となりました
毛沢東は簡単に台湾島を手に入れられると思ってましたが
それ以前に目の前の小さな島、金門島も攻略できませんでした。
まずは海軍を育てなければならない。
上陸部隊を確保しなければならない。
毛沢東は台湾への再侵攻を1951年に延期するという方針を立てました。
ところが準備する時間は与えられませんでした。
金門島の戦いが終わって8 ヶ月後の1950年6月、朝鮮戦争が勃発しました。
台湾を侵攻する為に温存していた兵力と兵器が朝鮮半島で消えました。
ここで決定的なことが起こります。
朝鮮戦争が勃発するとアメリカが台湾海峡にアメリカ第7艦隊を配備したのです。
空母駆逐艦、巡洋艦など世界最強の海軍艦隊が台湾海峡のど真ん中に陣取りました。
この瞬間、台湾進攻は事実上不可能になりました。
台湾では金門島の戦いが記念され、戦争記念館は観光名所となっています。
共産党軍の5000人以上の捕虜は帰国後、恥さらしとされ犯罪者扱い。
それだけではなく中国では、この金門島の戦いそのものが歴史から消されました。
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