ヤン・ヨーステン記念像(東京駅地下街) | 雨 風 呂

ヤン・ヨーステン記念像(東京駅地下街)

ブックマーク★レトロ系建物2










ヤン・ヨーステン記念碑の続きです。
東京駅の八重洲地下街にもヤン・ヨーステンに関する展示があります。
ヤン・ヨーステン記念像の作者は八重洲通りのヤン・ヨーステン記念碑と同じくLPJブラート。
こちらは屋内なので詳しいパネルなどが設置されています。
オランダ・ロッテルダム港を出発した船団は5隻。(1598年6月24日)
旗艦ホープ号("希望"の意)
リーフデ号("愛"の意)
ヘローフ号("信仰"の意)
トラウ号("忠誠"の意)
フライデ・ボートスハップ号("良い予兆"あるいは"陽気な使者"の意)
※リーフデ号にはヤン・ヨーステンとイギリス航海士ウィリアム・アダムスが乗船。

航海の途中、トラウ号はポルトガルに拿捕され、
フライデ・ボートスハップ号はスペインに拿捕されます。
はぐれたヘローフ号は続行を断念してオランダ・ロッテルダムに引き返しました。
旗艦ホープ号も太平洋を横断途中、嵐で沈没。
極東に辿り着けたのはリーフデ号ただ1隻でした。
残ったリーフデ号も赤痢や壊血病が蔓延したり、
インディオに襲撃されたりと次々と船員を失い、
110人だった乗組員は、日本漂着までには24人に。
残った船員も衰弱していて救助された後に6人死亡。
日本で生活できるまで回復したのは18人でした。

結局、重体で身動きの取れない船長ヤコブ・クワッケルナックに代わり、
ヤン・ヨーステン、ウィリアム・アダムスらを大坂に護送させます。
日本で布教をしているイエズス会の宣教師たちは「海賊を処刑すべし」と進言します。
5月12日(慶長5年3月30日)、徳川家康は彼らを牢から出し引見します。
ヤン・ヨーステン、ウィリアム・アダムスらは路程や航海の目的、
オランダやイングランドなど新教プロテスタント国と
ポルトガル・スペインのカトリック国との敵対関係を説明します。
家康は彼らの話を聞いているうちに今回の状況を把握します。
執拗に処刑を要求するカトリックイエズス会の宣教師を黙殺した家康は、
何度か引見を繰り返した後に釈放し、城地である江戸に招きました。
そしてヤン・ヨーステンは耶楊子(やようす)、アダムスには三浦按針と日本名を与え
幕府の外交顧問となりました。

■オランダの記事はこちら。


2015