ヤン・ヨーステン記念碑(日本橋三丁目交差点)
ブックマーク★レトロ系建物2








【HDRで撮影】
以前、「八重洲のキリン」の記事で紹介した場所です。
東京駅八重洲口から東に向かって、真っ直ぐに伸びる八重洲通り。
この日本橋三丁目交差点の中央分離帯に平和の鐘とヤン・ヨーステン記念碑があります。
これらのモニュメントは日蘭修好380年を記念し1989年4月(平成元年)作られました。
平和の鐘の前にはオランダ人、L.P.プラート作の銅板プレートがあります。
オランダの航海技術の象徴である「羅針盤」と、“時”の象徴「天球儀」をモチーフに、
左にはヤン・ヨーステン、右にはオランダ船リーフデ号が配置されています。
日本とオランダの関係は、1600年(慶長5年)にオランダ船リーフデ号が
大分県、豊後国に漂着したことに始まります。
オランダ人貿易家ヤン・ヨーステンは、耶楊子(やようす)と言う日本名をもらい、
外交、貿易を任され幕府の外交顧問となりました。
江戸城内堀沿いに屋敷を貰い、後にその屋敷周辺は八代洲河岸と呼ばれます。
(現在の八重洲、丸の内などの東京駅周辺)
そして明治時代には八重洲と言う町名になりました。
⇒








【HDRで撮影】
以前、「八重洲のキリン」の記事で紹介した場所です。
東京駅八重洲口から東に向かって、真っ直ぐに伸びる八重洲通り。
この日本橋三丁目交差点の中央分離帯に平和の鐘とヤン・ヨーステン記念碑があります。
これらのモニュメントは日蘭修好380年を記念し1989年4月(平成元年)作られました。
平和の鐘の前にはオランダ人、L.P.プラート作の銅板プレートがあります。
オランダの航海技術の象徴である「羅針盤」と、“時”の象徴「天球儀」をモチーフに、
左にはヤン・ヨーステン、右にはオランダ船リーフデ号が配置されています。
日本とオランダの関係は、1600年(慶長5年)にオランダ船リーフデ号が
大分県、豊後国に漂着したことに始まります。
オランダ人貿易家ヤン・ヨーステンは、耶楊子(やようす)と言う日本名をもらい、
外交、貿易を任され幕府の外交顧問となりました。
江戸城内堀沿いに屋敷を貰い、後にその屋敷周辺は八代洲河岸と呼ばれます。
(現在の八重洲、丸の内などの東京駅周辺)
そして明治時代には八重洲と言う町名になりました。
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