両国橋
ブックマーク:★巨大建物
1657年(明暦3年)の明暦の大火で橋が無く
逃げ場の無い多くの江戸市民が火勢にのまれ、10万人に及ぶ死傷者が出ました。
防火・防災目的の為に老中酒井忠勝らの提言により、両国橋は架橋されました。
(隅田川では千住大橋に次いで2番目の橋)
西側が武蔵国、東側が下総国と2つの国にまたがっていた事から両国橋と呼ばれました。
多くの回向院参拝客が両国橋を利用する様になりました。
現在の橋はゲルバー式鋼鈑桁橋、竣工 1932年(昭和7年)。
隅田川を渡る幹線道路、国道14号(靖国通り・京葉道路)の重要な橋となっています。
両国橋東詰には「表忠碑」があります。
日露戦争1904年(明治37年)~1905年(明治38年)戦役の戦病死者、
護国の為に命を捧げた英霊がお奉りされています。
建立年:明治40年1月1日 揮毫者:元帥侯爵 大山巌
&もんじゃ屋さん?になぜか猪が・・。
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1657年(明暦3年)の明暦の大火で橋が無く
逃げ場の無い多くの江戸市民が火勢にのまれ、10万人に及ぶ死傷者が出ました。
防火・防災目的の為に老中酒井忠勝らの提言により、両国橋は架橋されました。
(隅田川では千住大橋に次いで2番目の橋)
西側が武蔵国、東側が下総国と2つの国にまたがっていた事から両国橋と呼ばれました。
多くの回向院参拝客が両国橋を利用する様になりました。
現在の橋はゲルバー式鋼鈑桁橋、竣工 1932年(昭和7年)。
隅田川を渡る幹線道路、国道14号(靖国通り・京葉道路)の重要な橋となっています。
両国橋東詰には「表忠碑」があります。
日露戦争1904年(明治37年)~1905年(明治38年)戦役の戦病死者、
護国の為に命を捧げた英霊がお奉りされています。
建立年:明治40年1月1日 揮毫者:元帥侯爵 大山巌
&もんじゃ屋さん?になぜか猪が・・。
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