上野大仏
ブックマーク★レトロ系建物
花園稲荷神社を過ぎると小高い丘の参道に「上野大仏」の幟が見えてきます。
ここは大仏山、昔は実際に像高約6メートルの釈迦如来坐像がありました。
寛永8年(1631)、堀直寄によって大仏が寄進されましたが、
大正12年(1923年)、関東大震災により頭部が落下。
大破した頭部、解体撤去した胴部以下は寛永寺が保管しますが
資金の目処が立たず再建はされませんでした。
昭和15年(1940年)、軍需金属資源として顔面部以外を供出。
かつて大仏殿があった場所には、
大仏再建の願を込めてパゴダ(仏塔)も建立されています。昭和47年(1972)
って言うか、仏塔を建てるんだったら石像でも大仏を復元して欲しかったですね・・
大仏山から通りを挟んで向う側の丘には「花の雲 鐘は上野か 浅草か」と
松尾芭蕉の句にも詠まれた「時の鐘」があります。
(朝6時、正午、夕6時と1日3回鳴ります)

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花園稲荷神社を過ぎると小高い丘の参道に「上野大仏」の幟が見えてきます。
ここは大仏山、昔は実際に像高約6メートルの釈迦如来坐像がありました。
寛永8年(1631)、堀直寄によって大仏が寄進されましたが、
大正12年(1923年)、関東大震災により頭部が落下。
大破した頭部、解体撤去した胴部以下は寛永寺が保管しますが
資金の目処が立たず再建はされませんでした。
昭和15年(1940年)、軍需金属資源として顔面部以外を供出。
かつて大仏殿があった場所には、
大仏再建の願を込めてパゴダ(仏塔)も建立されています。昭和47年(1972)
って言うか、仏塔を建てるんだったら石像でも大仏を復元して欲しかったですね・・
大仏山から通りを挟んで向う側の丘には「花の雲 鐘は上野か 浅草か」と
松尾芭蕉の句にも詠まれた「時の鐘」があります。
(朝6時、正午、夕6時と1日3回鳴ります)

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