戦闘民族スパルタ | 雨 風 呂

戦闘民族スパルタ




スパルタ「Σπάρτα」は紀元前5世紀頃のギリシャの都市国家です。
当時のギリシア世界の常識ではスパルタ陸軍はギリシャ最強(人類最強?)だったので
スパルタに侵入する事は自殺行為に等しく、城壁は作る必要が無かったと言います。
スパルタは他のギリシアの地域とは全く違う社会制度を有していました。
土地の均等配分、常備軍の設置、装飾品の禁止、共同食事制がその特徴です。
他の部族の土地を征服すると農業等は被抑圧民に任せ、市民は軍事行動に専念しました。
(人口1万人で約15万人を支配していたそうです)
他のギリシャ都市国家の兵士は農民や職人だったり他に職業を持ってましたが、
スパルタ人は生まれながらに兵士でした。

■スパルタ教育
女性にも体育が奨励され健康な子を持つことが期待されました。
新生児は部族長老の面接で病弱虚弱者と判断されると山奥の洞穴に遺棄されました。
男子は7歳で家庭を離れ共同生活を送ります。
12歳から本格的な肉体的訓練とスパルタ人としての集団教育を受けました。
スパルタ教育と言われる人材育成は質実剛健、忍耐と服従を身につけ18歳で成人しました。
軍事に携わるようになると将軍の管理下に置かれ、毎日の夕食会に参加する事が義務でした。
妻帯者であっても夜には兵舎での生活に戻る必要がありました。
兵役が免除されるのは60歳以降だそうです。



■テルモピュライの戦い
紀元前480年、破竹の勢いでヨーロッパへ侵攻を進めるペルシア帝国の大軍に対し、
ギリシア諸都市連合軍は海岸線のテルモピュライでペルシア軍を食い止める作戦を立てました。
ギリシャ世界では恐れられたスパルタ軍がこの戦場では主力となりました。
しかし地元民の内通者がペルシア軍に迂回路を教えた為、
背後を突かれて窮地に陥ってしまいます。
そこでスパルタ王レオニダス1世は他の諸都市の兵士4000人を先に逃がした後、
レオニダス自ら300人のスパルタ重装歩兵と700人のテスピアイ兵、
400人のテバイ兵を率いて囮となり (テバイ兵はペルシア側に投降)
21万のペルシア軍を3日間に渡って食い止めました。
スパルタ軍は死体を高く積み上げ防壁を作り、ペルシャ兵に死体を落とします。

ペルシア兵はスパルタとの肉弾戦に恐怖し、
最終的に遠距離からの矢の雨によってスパルタ軍&テスピアイ軍は全滅しました。
・ギリシア連合軍の戦力 5,000 損害 1,000以上
・ペルシャ軍の戦力  210,000 損害20,000以上
ギリシャ側は先に4000人を温存させたので実質約1000人でペルシャ軍2万人を倒した事になります。
この時間稼ぎが、アテナイ海軍にペルシア軍を海上で迎撃する態勢を整えさせ、
テルモピュライの戦いと並行して行われたサラミス沖の海戦でギリシャ側が勝利しました。
スパルタ王レオニダスとスパルタ軍の勇敢な戦いぶりは全ギリシア人から称賛を受け、
テルモピュライには英雄レオニダスとスパルタ兵の記念碑が建てられ観光名所となっています。
※映画「300」ではスパルタを追われた者がペルシャ側に寝返って迂回路を教えました。