天使の王国 | 雨 風 呂

天使の王国

マクセン・エアガルド:宇宙飛行士
ウリエラ:謎の女性
守護者:精神のみの存在



25世紀に起こった赤道同盟対極地連合の戦いで文明は荒廃し
地球や宇宙植民地で生き残った人々が細々と暮らしていた。
30世紀、太陽系地球軌道上。
火星船籍宇宙船デジャーソリス号の宇宙飛行士マクセン・エアガルドは
地球の公転軌道上に散らばる人工衛星や廃棄された宇宙船の回収作業中、
エンジンバルブの故障により軌道脱出が不可能になり、やむなく地球に不時着した。

なんとか着陸はできたが、
この宇宙船はブースター無しに地球から宇宙へ飛び立つ能力は無い。
荒野を数日歩くと辺りの山の麓に城の様な建物が確認出来た。
その建物の正面迄来て巨大な扉の前で立ち竦む。
扉の開いたその部屋の中は暗かった。
そしてその扉の直ぐ脇には1人の女性の姿があった。
地球へ来て始めて見る女性だった。

程無くその開いた扉に歩み寄る。
「君の名は?」
一呼吸する間が有り、漸く彼女は頭を横に振る。
「知らないのです。」
「自分の名前を知らない?」
「私は此処、博物館の管理者です。
自分の素性、名前の記憶は失われていますが人類の救世主、守護者の僕です。
私は一生を守護者に捧げる為に此処に居ましたが、
今、守護者は貴方を自分の元へ連れてくる様に告げられました。」

博物館には巨大な展示物が多数飾ってあった。
それは馬車だったり巨人の像であったり船だったりした。
「あの天井に描いてある天使の名は何と言うのだ?」
「あれはウリエルと言う名の天使です、
最後の審判の裁きを行うとされています。」
「言わして貰えば管理者と言う呼び名は役名であって名前では無い。
これから君をウリエラと呼ばせて貰うがいいだろうか?
魅力的な女性を管理者呼ばわりじゃ味気ないだろう。」

「えぇ、御勝手に。そう呼んで頂いても差し支えは有りません。
私もこの博物館を去ってしまえば管理者では無いのですから。」
「そうだ、申し遅れた。俺はマクセン・エアガルドと言う。
ウリエラ、これからの事宜しく頼む。」
「こちらこそ、マクセン・エアガルド。貴方が旅の相手なら頼もしい限りです。」
「そして移動の手段はどうするのだ?」
ウリエラは踵を返すと巨大な部屋の壁の片隅に行き、
展示物の1っである大きな船を指差した。
「これで行くのです。」
それは一見古代の帆船の形をしてはいたが
本物の船には有る筈の無い円筒形の車輪が船底に並んでいた。



ウリエラの指示で水没した道路を登り陸路を走ったり
逆に下り坂の道路から川や海に進入した。
海底には昔の都市や道路が沈んでいるのだと言う。
昔の地球の海抜はもっと低かったのだ。
荒野に夜の帳が下りて暗闇が辺りを覆う。
船を停めて深夜の見張りをする。
夜には闇に紛れて海から海賊が上陸するのだ。
ウリエラと一緒に夕食をとり先に床に入いる。
深夜にウリエラが起こしに来て俺は交代の見張りに付いた。

数えきれないほどの夜明けと日没。
太陽が真上を通る灼熱の地帯を移動中、
ある日南の空に黎明の光に負けぬ輝きを持つ1っの星が認められた。
そして日が高くなり陽炎の立つ頃、地平線に一際聳える尖塔が現れる。
山や岩では無い、明らかな人工的な建造物であるそれは
遙に離れた此処でさえ巨大な事が分かる程だ。
それは確実に地平線にまで続く道の延長上にあった。

尖塔の正面の巨人が通れる程の扉の前に立つ。
扉は間もなくゆっくりとした動きで開きだした。
広い!その円筒形の室内の頭上にはドーム型天井が覆われていた。
光が差し込むその窓からは建物の内側の壁が煙突の様に空へと続いているのが見える。
ブーンと何かが唸る音がする。
そして微かだが円盤型の床が、部屋全体がゆっくりと持ち上がる。
「おお、既に動いているぞ!」

その直後下の方で何やら鈍い音がした途端、
部屋は建物の内壁のトンネルを空へ向かって滑りだした。
ほんの一瞬であの巨大な建物の中を脱し、窓から見える景色は空一色になる。
ドームの天窓を通して明るい日差しが俺達を照らす。
「飛んでいる、俺達は飛んでいるぞ!」
「この乗り物はシャトルと呼ばれています。地球と宇宙との連絡船です。」
とウリエラは驚くでも無く比較的落ちついた様子だった。
俺は円盤状の床の端に駆け寄り、壁の窓越しに下方を見渡す。
地表はどんどん縮んで小さくなっていった。

守護者の居場所、それはまるで樽の様に見える人工の月だった。
その外壁からは数本の突起物が生え、それは樽に刺さった矢の様にも見えた。
そしてその突起物によりこの物体がゆっくりと回転している事が分かる。
その円筒形の物体は「尖塔」を遙かに上回る巨大な物だった。
「天界(スカイダム)です。」とウリエラが耳元で囁く。
その曲線を描く表面は無数の色ガラスが張り付けてある様にキラキラと輝いていた。
その巨大な樽の底の中心部にイカの口の様な入口が開きだした。
シャトルは既に加速を止めていて惰性で進んでいる。
間もなく軽いショックの後に扉が開きだした。



無重力の中、扉の脇にあるロープを手掛かりに移動する。
その円形に開く扉の先に見えた物は…空だった。
いや正確には地面に取り囲まれた円筒形の空間だった。
まるで洞窟の床、壁面、天井に地面を張り付けた様な裏返しになった世界。
輪を描く大地に取り囲まれた空の中心に太陽が見える。

太陽の方角から飛んで来た物は羽の生えた人間、天使だった。
天使達は大きく丸く開いた開口部から次々と俺達の近くに舞い降りる。
彼らのサンダルは床にぴたっと張り付き、
まるで重力がある様な自然な姿勢で俺達の前に立った。
そしてその内の1人が2組のサンダルを差し出す。
「これを履いて下さい。」
俺とウリエラはそれらを受け取る。
「ゴム製の磁石ですね。」とウリエラは言い、軽やかにサンダルを履いて見せる。

そのサンダルを履いた足が床に触れるとサンダルは床に吸い付き、
彼らの様に床に足を着けて歩く事が可能になった。
「ウリエラ、彼らは一体何者だ?」
「心配はありません。私達は守護者の僕です。お迎えに参りました。
マクセン・エアガルド様ですね?お噂はお聞きしています。失礼、申し遅れました。
私はアリスク445と言います。これからご案内しますので宜しくお願いします。
我々は守護者の指示で遣わされたのです。」と天使。

アリスク445が俺の手を取り床から空へ向かって飛び立つ。
空中で天使達に手を牽かれながら空を漂う。
後ろにはウリエラもアリスク445の部下と思われる天使に
手を牽かれて俺達の後を追っていた。
その天使とウリエラの姿が夕日に染まっている。
暫くこの空中散歩を楽しむ気になってきた。



下を見下ろすと地表がゆっくりと移動し、
この世界自体が回転しているのが確認出来た。
太陽は今では間近に迫り赤く熱く輝いていた。
俺は眩しさと熱さで手で目を覆う。
「今、日没が始まりました。」
アリスク445の言葉の直後に太陽はその輝きを失い急速に冷えていった。
そしてそれが完全に冷えて熱を感じなくなった時には
先程迄太陽だった物はぼんやりと光る月に変貌していた。

丁度中心に黒い光らない箇所があった。
直径4m程の金属製の丸い壁だ。
アリスク445はそれに触れるとそれはゆっくりと開き、
その先は明るく照明された長い円筒形の廊下だった。
そして廊下は別の豪華な扉の所で行き止まりとなっていた。
扉が開き、其処には広い円筒形の部屋があった。
祭壇の様になっている所にはやはり羽を生やした老人が椅子に座っている。

その老人と対面する。
「私はランベル414。天界唯一の国家、エアリアル共和国の指導者だ。
ようこそマクセン・エアガルド。君の事は守護者から聞いている。
今はこの世界に早く馴染むように努力してくれ。」
そして指導者は椅子に付いている沢山のメダルの様な物を押した。
部屋の中心付近を七色の光が照らした。
俺はその頭上に出現した巨大な幻影に一瞬たじろいた。
守護者の幻影は頭を垂れていたがゆっくりとその顔を上げた。
そして俺に視線を向けると話しだした。
「マクセン・エアガルド、よく来た。我々は君を必要としている。」

「それがお前の本当の姿か?お前は亡者か幽霊なのか?」
「当たらずとも遠からずだ。私はこの世界の仕掛けに内在する電気信号による精神。
知性を持った世界保安防衛ネット統合システム、
グローバル・セキュリティ・ガード・ネット・コンプレックスだ。
地球の静止軌道上にこの円筒形の世界、スカイダムを建設したのも私だ。」
「ガードネット…。この通り俺はお前の元へ来た。
俺の協力が必要と聞いていたのだがどう言う事だ?」
「勿論、その時が来たら君に決断を迫る。それは人道上強制出来ない事だからだ。
それまでの間様々な事を学び、時間を掛けてゆっくり心と身体を休めてくれ。
では、マクセン・エアガルド。又会おう。」
ガードネットの幻影は彼の声と共に消えた。

束の間の沈黙の後指導者(ランベル414)が語りかける。
「今日はもう遅い。アリスク445、彼を新しい住まいに案内してやってくれ。」
アリスク445は指導者にもう1度礼をすると先頭を切って歩き、
俺達の手を引いて巨大な円筒形のトンネルへと向かった。
「此処から回転軸無重力地帯「シャフト」を飛んで移動します。」
その円筒形のトンネルの奥行きは果てし無く続き目的地は遠くて確認できなかった。
気が遠くなる程の距離、何の目的で飛んでいるのかさえ忘れる程時間が経った頃、
漸く正面にこの世界の突き当りの巨大な壁が見えてきた。

アリスク445は羽ばたき惰性を殺し、俺たちの勢いを鈍らせる。
そして円筒形のトンネルの曲面の一部の扉の把手を引く。
その扉が開くとその下には1枚の鉄板の床が浮かんでいた。
躊躇しているとアリスク445が先にその床に移る。
「どうぞ、こちらへ移って下さい。この昇降機で地表まで降りるのです。」
その床の淵からは先は空が見え、風が舞い、俺達の衣服や髪を揺らす。
この床はこの世界の壁から空中に突き出していた。
床はゆっくりと下降を始めていて円筒形の世界、
そして今まで通ってきた円柱の建造物の姿が露になった。
我々が通過してしてきたトンネルはこの世界の太陽を支えている柱だった。
足元の床の遙か下方に月明かりで照らされた凹面形の地表が広がっている。

「これはどう考えても人間用の設備ではないな。
これはこの世界が作られた時からあったのか?」
「この世界の初期に発達していた「航空機」を運搬する設備であったと聞いています。
そう、進化を極めていない先祖達は道具に頼って空を飛んでいたのです。」
「と、言うと君達の先祖は始めから羽を持っている訳ではなかったのだな。」
「その通りです。先祖は「飛行士」という種族でしたが
我々は空の霊長に成るべく機械に頼らない手段として羽を得るに至ったのです。
それは初代指導者、「創始者」によって提案された技術でした。
そしてその技術は守護者と後世の科学者達の手によって実現しました。
彼はこの世界では神に匹敵する偉業を成し遂げた人物でした。この世界の英雄です。
彼の名はロジャー・ランドマーク。このエアリエルでも彼の名を知らぬ者は居ません。」

「そうすると彼は君達の種族にとっても初代の先祖に該る訳だな。」
「それだけではありません。彼無しにはこの世界は成立しなかったのです。」
「しかし、この世界はガードネットにより作られたと聞いたぞ。事実は違うのか?」
「いえ、創始者ロジャー・ランドマークはこの世界と守護者の設計者です。
彼によってこの世界と守護者は今の形を決定させられたのです。」
「なんと!神に匹敵すると思われたガードネットも別に創造主が居たとは。それで彼は…?」
「勿論何百年も昔に亡くなりました。」



昇降機はかなり地表に近付き、ひんやりとした空気が我々を覆う。
一瞬、視界が白く閉ざされた。それは雲だった。
視界から霧が晴れると眼下に広がるのは内側に湾曲した地平を除けば
豊かな地球の景色と何ら変わらない物だった。
そして雲の切れ間からはこの世界の夜空を飾る星々が確認出来た。
「見た事も無い夜空が見える。」
アリスク445がそれに答える。
「スカイダムの外壁は宇宙放射線や隕石を防ぐ為、金属製で外は見えません。
それらは星に見えますが円筒状の正反対の地表、
つまり人工太陽の向こう側の地表に灯る街の明かりなのです。」

やがて昇降機は地表に到着した。
重力がかなり増えているのが分かったが、
地球での重力に比べれば取るに足りない。
まだまだ身体が軽く感じる。
地表に到達した地点は公園の様に緑の生い茂る豊かな土地だった。
その石畳を3人で歩いていると近付く足音に驚いて鳥が騒いだ。
此処には動物も居るのだ。
少し歩くと川や芝生の敷地、丘等の他に小さな建物が散在し
その照明が付近を照らしていた。

建物の扉には警備の為に配置されたと思われる槍を持った天使が傍らに立っていた。
アリスク445はその天使に合図をすると彼は扉を開け、会釈すると後ろへ下がった。
扉の向こうは5mほどの広さの部屋だった。
その小部屋の扉が閉まるとガクンと床が下へ移動しているのが分かった。
これも昇降機なのだ。
昇降機が下がるにつれ重力が増し身体が重くなって行く。
遠心力は回転軸から遠ざかるほど力が増すのだ。
一方アリスク445はとても具合が悪く辛そうに見える。
先程の元気が何処へやら、まるで病人の様だ。

「顔が真っ青だぞ、大丈夫か?」
「面目有りません。私は0.3Gの上層付近の住人です。
そして最下層での重力は0.9G、地球と略同じ位の重力があります。
それは上層居住者の身体にはとても耐えられない程の重荷になるのです。
エアリアルの住民はかつて全員0.9G居住区に住んで居たのですが
地表に近い上層の農産物倉庫を下層に移して上層にも住む様になったのです。
現在1Gに耐えられる者は最下層のフロアに住む補給物資調達員と兵士のみです。
彼らのみが地球に降り立つ事が出来るのです。」
箱型の昇降機は動きを止め扉が開いた。

「最下層へ着きました。」
俺達はその小部屋を出て新たな広い通路へ足を踏み出した。
確かに地球の重力に近い感じだ。
俺達はアリスク445の歩調に合わせゆっくりと通路を進む。
「此処が…その女性の部屋になります。何か質問が有れば承ります。
扉には「B100-8900」と書いてあった。
「そして貴方の部屋の番号はこちらとなります。」
札には「B100-9000」とある。
「あぁ、了解した。」

「では後ほど。」とアリスク445は頭を垂れると元来た通路へと戻って行った。
部屋に入ると早速風呂に入り寝室に移動する。
服や防具を脱ぎ捨てベッドに横たわる。
すると間もなくガードネットの虚像が天井に浮かび上がった。
「ようこそ、天使の住まいへ。マクセン・エアガルド。」
「そう言えばウリエラは今どうしている?
アリスク445に頼んで彼女に会いに来てもらう様に頼めるだろうか?」

「彼女もお前に会いたがっていたぞ。
だが指導者は君にウリエラを会わせる事は避けているのだ。
彼女と一緒に居ると任務が疎かになると考えているのだ。」
「ガードネット、その任務とやらを早く終わらせたい。」
「マクセン・エアガルド、今医療部員を此処に呼び寄せた。
お前の血液サンプルを採取する為だ。
心配するな、これは言わば保険の様な物。
お前の身に万が一何か起こった場合の処置だ…」
俺は瞼を開けベッドの傍らを見ると1人の天使が俺の腕を取りあげて声を掛ける。
「安心して下さい、直ぐ終わります。」
彼は俺の腕に何かを刺した。

俺はウリエラと会う事が許可された。
早速彼女の部屋へ行き、一緒に夕食を楽しむ。
夕食後は風呂に入り2人とも部屋着に着替えた。
俺が寝室に入るとウリエラはベッドに腰掛け濡れた髪を梳いていた。
俺は彼女に近付き後ろから抱き締める。
「あ!何をするんですか!」と俺の方へ向き直ると胸を拳で小突く。
「俺は此処に泊まるつもりだ、部屋には朝迄に帰れば問題無いだろう。」
と彼女の部屋着に手を掛ける。
「駄目です!こんな明るい所で。」
「ウリエラ、俺は暗闇の中では無く、明るい所で君を見たいのだ。」
俺は執拗に彼女の腰に手を回す。
「駄目。」
彼女を身をひねって照明を落とした。

次の日の朝、スカイダムの上層居住区を抜けて地表へ。
ウリエラと一緒に地上の公園や菜園を散歩する事が許されたのだ。
人工の世界とは言え、空と海と緑がある環境は人の心に癒しを与える。
「ありがとうございます。誘ってくれて・・私も退屈でした。」とウリエラ。
「あぁ、俺は幸せだ。」と照れながら言う。
指導者には外出は3時間ほどで戻る様にと言われたが、
自分にはそんな事を守るつもりは全くなかった。
日が暮れるまで、いや、夜までだってずっとウリエラと過ごしたかった。
教えられていた散策ルートを大幅に外れてしまった様だ。
森林地帯に入り、全く道を見失ってしまった。
と、木々がまばらになり、広い敷地に入り視界が開けた。

大きな湖らしい。
初めて見る大きな湖を見ると泳ぎたくなった。
衣服を脱ぎだすとウリエラが注意する。
「何をしようとしてるのですか?何が起きても知りませんよ。」
「君も泳がないか?」
「私は遠慮します。ここに居るから早く帰って来てください。」
俺は柵で囲まれた水際から沖を目指し泳ぎだした。
2mほどの深さまで進むと水面下に黒い影が通過した。

そしてその黒い物は俺の手前で水面から飛び上がった。
それはまるで巨大な蛭の様だった。
素早い動きに避ける事も出来ず、不覚にも
湖底から突進してきたその生き物に噛まれてしまった。
大きく開けた口に四本の牙と吸盤状の舌が備わっていた。
俺は怪物がかぶりついた腕を振り払う。
腕には4本の牙が食い込んだ跡と吸盤で吸われた裂傷が残った。

後日、指導者に呼び出される。
部屋に入ると既にガードネットの虚像が現れていた。
「マクセン・エアガルド、遊びが過ぎたな。」
次に指導者の説教が始まる。
「この世界始まって以来の暴挙です。立入禁止区域に入り養殖場に侵入した。
長老会議では独房へ監禁すべしと要望が出ている。
マクセン・エアガルド、この件に付いて何か釈明は有るかね?」
「俺が何をしたんだ?散歩に出て探検したかっただけだ。
そもそも湖に怪物を放し飼いにしておいて俺を非難する方がおかしい。
俺はあれに殺されそうになったのだ。ほら、この怪我を見ろ!」

指導者はガードネットに促されてその部屋を退席する。
「マクセン・エアガルド。
お前が見た生物は現在のエアリアルの世界に無くてはならない物なのだ。
先ずは順序立てて彼ら種族の成り立ちから説明しよう。
彼らは他の宇宙植民地から孤立すると宇宙に独立する種族として自らの身体に改良を加えた。
染色体に手を加え2倍体から4倍体とし、
細胞核の染色体を倍にする事で優生遺伝子の安定、
2人分の遺伝資源の蓄積を確保したのだ。

お蔭でエアリアルの住人は宇宙放射線の耐性が飛躍的に向上し
突然変異をする可能性が極端に減った。
これは限り有る閉鎖された環境で種の安定を図るには効果的な事だったのだ。
しかしそれは同時に地球の人類と種としての決別をも意味した。
正常な2倍体の染色体を持つ地球人と
4倍体のエアリアルの住民の間には子孫が出来ないのだ。
そして地球との交流も必要無くなりこの世界、
即ち天界のみに適応するべく新たに進化の道を踏み出した。

しかし彼らは自らの遺伝子情報自体に手を加える事は避けたのだ。
科学技術文明繁栄期にバイオプロクスと言う生物が合成された。
これは失った器官、臓器の代わりに姿を変え共生する人工生物だった。
後のエアリアルの科学者はこれを利用する事にしたのだ。
それは寄生虫の様に宿主の拒否反応を抑えるホルモンを分泌し、
アンコウの雄が雌に癒着し寄生する様に・・人間の身体の一部となる共生生物。

鯨やサメの血液を吸って成長する幼態は宿主から離れ海から上がると
ヒレを羽に変質させ飛行可能な成態になる。
そして身体の発育が安定した思春期以後の若者達の肩甲骨に
それぞれ牙をインプラントし合体を済ます。
それは新たな宿主の血管ばかりか神経、
筋肉組織迄融合し完全に一体の共生体に成長する。
そう、君の見た物はこれらの羽の幼態期の生物なのだ。」
ガードネットが語り終えると長い沈黙があった。

「成るほど。ガードネット、彼らの置かれた状況が分かった。不本意だが少し彼らに同情する。
ところでガードネット、お前の事で聞きたい事がある。」
「なんだ、言ってみるがいい。」
「お前は言わば機械なのだろう?しかし余りに人間臭い。本当に生きている様だ。
機械には感情が無いと思っていた。」
「人間の感情とは不思議な物。取得した感情パターンの幾つかは私には必要無い物が多い。
それは愛だったり郷愁だったり。本来機械の私には意味の無い物だ。
しかしそのお陰でお前のウリエラを思う気持ちや故郷への思いを理解する事が出来る。」

「ガードネット、お前が感情を持っていて助かった。
でなければ俺は此処で誰も理解者を持つ事は無かっただろう。
確かお前はある人物の性格を手本に感情を模写されたと言っていたな。
それはロジャー・ランドマーク、つまり創始者なのではないか?」
「マクセン・エアガルド、その通りだ。
私は彼の性格を参考に感情パターンを含むパーソナリティプログラムを構築された。
そう言う意味では私のパーソナリティは彼の性格の模写品に過ぎない。
所詮機械の意識と人間の意識は異なる物だし、環境や能力、経験が食い違っている。
本物とは別物だ。」
「ガードネット、しかしやはりお前は彼の分身だ。
お前は俺の故郷ではドッペルゲンガーと呼ばれるだろう。」

暗闇に浮かぶガードネットの幻影はこちらの様子を伺っている様に見えた。
「ガードネット、俺は創始者、ロジャー・ランドマークに興味がある。
彼に関する事をもっと知りたい。協力をしてくれ。」
しかし彼は漸く少し間を置いた後、気が進まない感じで話を始めた。
「実は創始者の個人的な情報に関しては私からは教えられない事になっているのだ。
詳細な事を知りたければ自分で図書館に行くが良い。
但しお前には保安要員を付けさせて貰う。」
「そうか?まぁ、調べさせてくれるならお供は我慢しよう。よし、連れていってくれ。」

間もなく俺の部屋に保安要員が現れ俺は彼の案内で昇降機に乗る。
「図書館でよろしいのですね?」と彼は言う。
「あぁ、図書館迄の行き方を教えてくれれば1人で行く。そうすれば付いて来る必要は無いぞ。」
「いえ、同行する様に言われています。」
地表に着くと階段の入口には前に見かけた衛兵が配置に着いていた。
そのまま公園のエントランスを通過し遊歩道を先に進む。
建物自体は神殿の様に見える。

かつて図書館には沢山の情報端末があったのだが、
生産基盤を失った後はモニター、キーボード等消耗部品の復元が不可能になり
後世に残せる情報媒体として「書物」が復活したのだ。
図書館のそれぞれの部屋は蜂の巣状の壁に囲まれていた。
蜂の巣状の壁から「ロジャー・ランドマークの功績」と
「宇宙初の大統領ロジャー・ランドマーク」と札の付いた書物を抜く。
書物は巻物だった。
それらの巻物は固く、光沢があり、薄い金属の様に丈夫な物だった。
読む為の物と言うより保存する為のアイテムに思える。

細かい技術的な記述は読み飛ばし経歴等を調べる。
彼は初期の宇宙植民地運動の先駆者で、開拓者の指導的な人物だった。
各国で作られた大小様々な宇宙植民地群を纏め上げたのが彼だったのだ。
後に作られたスカイダムと言う地球の自然界を再現した
新型円筒形宇宙植民地の開発者でもある。
資料では死後彼の遺体はアメリカ大陸上空の宇宙植民地に保存されていたのだが、
例の南北大戦で彼の生物的な遺伝標本を含め全て失われたのだった。

書物を更に進め、宇宙植民地独立政府の指導者時代の彼の写真を発見した。
それはガードネットのあの老人の幻影と同じ顔だった。
ある程度予想はしていた。
「なんだ、ガードネットはロジャー・ランドマークの姿さえ借りていたのだな。」
俺は笑いながら他の資料を取り、彼の宇宙飛行士時代の写真を捜し出した。
其処で俺の微笑みは凍りつき恐怖の表情に変わる。
その写真の顔は俺だったのだ。

「ガードネット!どういう事だ?説明を!」
俺は制止を振り切り太陽の柱へ登り指導者の部屋でガードネットを呼び出した。
指導者は渋々守護者を呼び出した後、部屋を出て行った。
ガードネットの老人の姿が現れると間髪を入れず俺は叫ぶ。
「ガードネット、ロジャー・ランドマークと俺の関係は何だ?
俺に死人の影武者をさせる為に此処へ呼んだのか?
お前は知っていたのだろう。何故隠していた?」

「隠すつもりは無かった、お前を図書館に行かせただろう?
長老達との合意で私からその事をお前に教える事は止められていたのだ。
だが、私は人道上、敢えてお前にそれを決断する機会を与えてやりたかった。
それ故、お前からの質問を待ち、それに答える場を望んだのだ。」
「御配慮恐れ入る。で、その本当の使命とはなんだ?」

「マクセン・エアガルド。
実はお前を見つけたのは博物館でお前がウリエラと会った時に逆上る。
其処でお前に生体サーチを行って驚いたのだ。
確認した結果はお前の遺伝情報はロジャーランドマークのそれと殆ど一致していたのだ。
私は長い間探し求めていた遺伝資源を偶然とは言え見つける事に成功した。
恐らくお前はロジャー・ランドマークの子孫、それも先祖返りだ。
先祖の遺伝情報の復元が隔世遺伝によって再現する事は生物学上良く有る事だが、
お前の遺伝情報は彼のそれと兄弟以上に近い。双子に匹敵する程だ。

それが宇宙船の事故によってこの地球に舞い降りた。
この世に神が居るのならこの因果は正に神の奇跡だ。
仮想的な神として存在する私でさえ神を信じる気持ちになった程だ。
ロジャー・ランドマークの生体標本はアメリカ大陸上空の宇宙植民地と共に失われたが、
破壊される直前に暗号化した彼の遺伝情報、記憶、人格情報がここの情報コンプレックスに送られた。
それを今までデータバンク内に封印して保存して来た訳だ。
我々の望むのは創始者の復活、それが最優先課題だ。
残念ながら我々には既に記憶された遺伝情報から遺伝子を合成する技術は失っている。
しかし私はお前を見つけたのだ。」

「おい、ガードネット。主旨が良く分からないがまさかそれに俺が必要と言う事か?」
「・・そう言う事なのだ。それが我々の希望なのだ。」
「と言う事はそのロジャー・ランドマークの魂を俺に?では、俺の魂はどうなるのだ。」
「それは分からないのだ。ロジャー・ランドマークの情報量は莫大だ。
お前の記憶、人格等消し飛んでしまう可能性はある。
実はお前の前に臨床実験としてロジャー・ランドマークの人格転写を行った事があるのだ。
被験者の脳はロジャー・ランドマークと構造的に異なっていたので各脳の領野で情報転移が失敗し、
実験後精神活動が活性化せず廃人となってしまった。
運動中枢、記憶中枢、精神活動を行う各領域の容量が一致してなかった為だ。」

「それを俺に?馬鹿な、そんな物引き受ける訳があるか。
誰が好き好んで危険を冒して迄他人に身体を引き渡す必要があるのだ。」
「マクセン・エアガルド、最もな事だ。
大義の為に強制的に君を犠牲にするのは許される事では無い。そこで1っ提案がある。
今の君にロジャー・ランドマークを転写する直前に
一旦情報コンプレックスのデータバンクにお前の精神を退避させ、
後にお前のクローン、つまりお前の遺伝子を持つ複写された肉体だ、それにに戻しても構わない。
最もそれの脳が成熟し受け入れられる状態になるには20年掛かる。
しかしお前は20年後若い身体で復活出来るのだ。
だが今の身体で転写が成功すれば現時点でお前は創始者の知識と地位を手に入れる事が出来る。」
「何時、何処で俺の遺伝子とやらを手に入れたのだ?」
「血液サンプルを採血したのを覚えているか?万が一の為の処置だと伝えただろう。」

「20年後!俺はこれからウリエラと一緒に暮らして行くつもりだ。そんなには待てない!」
「マクセン・エアガルド。今、この世界はどんどん堕落し衰退の一途を辿っている。
新しい独創的な技術を開発する人材は枯渇し、
長い歴史の間続いた官僚社会がこの世界を支配している。
そう我々は無からこの世界を作り上げた創始者を復活させる事で世界を救おうとしているのだ。」
「お前達の思惑は分かる。
しかしそれが俺とウリエラの仲を割く事であれば引き受ける事は出来ない。」
俺はそう吐き捨てる様に言い終わるとその部屋を出て行った。

その頃ウリエラは指導者によって呼び出されていた。
「何でしょう、指導者様。」
「ウリエラ、いやジークルーネ473よ。それがお前の本来の名前だ。
お前の処分は私が決定した。今でも覚えているぞ。
そう、お前はかつて此処に居たのだ。そして罪を犯し追放された。
しかし、我々は又もお前に迷惑を被っている。マクセン・エアガルドの事だ。」
「私が?何か問題でも。」
「私も歳を取った、指導者の役務を退く事を考えなければならぬ。
そして守護者が求める次の後裔者は彼、マクセン・エアガルドなのだ。
しかし彼はお前と一緒に居たいが為に我々が望む使命を拒否した。
彼を惑わすのはやめて欲しいのだ。」
「しかし、私はそんなつもりは・・。」

「ジークルーネ473。お前は地球と天界を往復する補給物資調達員だったが
1人の地球人の若者に執着するあまり任務を忘れエアリアルへの帰還を拒否したのだ。
我々はその若者の居る村に身柄の返還を交渉した。
しかし拒否され我々はシャトルを降下させ村を襲撃した。
そしてお前はそれをやめさせる為に我々に投降した。
そう、お前は罪人だったのだ。
そして地球で更生したにも係わらず又此処で問題を起こしている。
マクセン・エアガルドから身を引きたまえ。その方が彼の為にもなるのだ。」

「ひどい!」
ウリエラは部屋を飛び出し、椅子はぶつかった勢いで無重力の部屋を舞う。
「後を追え!」
指導者の言葉に保安部員の天使が彼女の後を追い浮いた椅子をかき分ける。
彼女は通路を慣れた身のこなしで走り非常口と表示の有る扉を開け、そこに身体を滑り込ます。
次の瞬間彼女のは太陽の柱の外壁を抜け空中へ飛び出していた。
「おい!待て君!」それを追う保安部員の天使。

かなり勢いが付いた為追い付くのに時間が掛かったが
間もなくウリエラは天使に抱き留められる。
身体を広げ空気抵抗を増し必死に羽ばたく天使。
落下による加速は鈍ったがまだかなりの速度だ。
彼は全力で羽ばたくが既に彼の全血液の酸素は彼の羽に殆どを使い果たされ限界に近かった。
脳が酸素欠乏を起こし失神寸前の天使。
「はぁ、はぁ。もう駄目だ、限界だ。許してくれ!」とウリエラの身体を離す。



急速に近付くスカイダム大海の表面。
力なく滑空してウリエラから離れる天使の近くでウリエラの身体は水柱を上げ着水した。
天使は海の上を滑空して岸に着地すると付近の住民に応援を呼びかける。
「助けてくれ!地球人が1人海へ落ちた、早く探して引き上げないと死んでしまう。」
彼女が落ちた辺りに数隻の船が集まり間もなく天使のうちの1人が彼女を引き上げる。
「大丈夫か?水を飲んでいる様だな、医者の所へ運ぼう。」
彼女は意識が無く目を閉ざしたままであったが心臓はまだ動いていた。

知らせを聞いて俺は海岸に隣接する医療施設の建物に駆けつけた。
俺の前に1人の保安部員の天使が進み出る。
「彼女は太陽の柱から飛び下りたのです。
途中私が確保したのですが力尽きて離してしまい海に落ちてしまったのです。
もう水を吐かせましたから命に別状はありませんが。」
「何故こんな事がっ?!誰がこんな仕打ちを?」
保安部員は話すべきでは無いと判断して口を閉ざす。

彼女は静かに息をしており、意識が無い事を除けばもう大丈夫の様だ。
「どうしてだ?ウリエラ、答えてくれ。」と彼女の上体を抱き起こす。
濡れた衣服は脱がされていた為、毛布の下の彼女の身体は露になった。
俺は両手で彼女の身体を抱く。
俺は初めて彼女の背中の傷を明るい陽の元で見た。
怪物に噛まれた傷口の様な、かつて彼女の肩甲骨に羽が有った傷跡を。

次の日にはガードネットからウリエラが意識を取り戻したと報告があった。
「ウリエラの事は残念だった。
私は指導者に彼女に対してあの様に接触する様に言った覚えは無い。
彼は裁かれる身の心の痛みを知らぬ様だ。彼女には酷い事をしてしまった。私から謝る。」
「俺は彼女と暮らしたい、それは叶う事の無い希望なのか?」
「今のままでは駄目だ、マクセン・エアガルド。
また創始者の転写の話だがもしお前がウリエラと一緒に住める事を約束するなら
その任務を引き受けてくれるか?」

「一緒に住めるのか?」
「そうだ、それを条件に引き受けて貰いたいのだ。
もしロジャー・ランドマークを転写してお前の存在が消えたり失敗した場合は
退避したバックアップメモリからお前を元の肉体にダウンロードし直してもいい。それでどうだ。」
「分からない・・それが元の俺なのか?ウリエラに相談をしたい、会わせてくれ。」
「行くがいい、マクセン・エアガルド」

エアリアル地表の医療病棟にて。
「どうだい?ウリエラ、もう落ちついたかい。」
ベッドに横たわる彼女は眠っていたが程なく起きて俺に気が付く。
「あぁ、マクセン・エアガルド。」と言ったきり泣きだして顔を枕に埋めてしまう。
「気をしっかり持ってくれ、ウリエラ。
連中が酷い事を言ったらしいが俺は彼らに文句を言ってやるからな。
このままで済ます物か、指導者め。」
「いえ、そのせいで悲しんでいるのではありません。
私は貴方とは別の人生を送らなければならないのです。それが辛いのです。」

「馬鹿な、そんな事は無い。指導者の入れ知恵だろうが、俺は一生君と暮らすつもりだ。」
「私は罪を犯しそれを償う為に生きている女。
それに貴方とは家族を作れません。諦めて下さい。貴方はもう知っているのでしょう?
背中の傷痕の事、そして私がかつてエアリアルの住人で、
記憶と羽を奪われ地球に追放された堕天使だと言う事を。」
「あぁ、ガードネットから聞いた。」
「私も薄々とは気が付いていました。そして今、貴方の邪魔になっている・・。」

「ウリエラ、もう何も言うな。
実はガードネットが転写を受け入れれば君と一緒にしてくれると約束したのだ。
しかも、失敗した場合でも元の肉体に戻してくれるらしい。
俺はガードネットの提案を受けるつもりでいる。今のままでは俺達は一緒になれない。
しかしガードネットが約束したとなれば話は別だ。」
「貴方と居られるのは嬉しいです。でも本当に私でいいのですか?」
「勿論だ。今更そんな事を。」
俺は感極まってウリエラの身体を毛布の上から抱きしめる。

太陽の柱、指導者の部屋にて。
「守護者よ、マクセン・エアガルドにあの様な約束をするとは・・
私は納得が行きません。」
「いいのだ、指導者。転写がうまく行けば誰も不満の出る者は居ない。
もし失敗した場合は今のマクセン・エアガルドの肉体を諦めて
20年後のクローンでの創始者の復活を待てば良いのだ。」

「私はもう引退したいのです。もう充分役目は果たしました。
後20年も待たなければならないのですか。それにジークルーネ473の事。
彼女は慣例によりエアリアルでは暮らしていけません。
1度追放された者が帰還して社会に受け入れると言う前例は無いのです。」
「指導者よ、お前はもっと人の痛みを知る立場にある。これからは注意したまえ。
それから彼女の事は私に任せておけ。私が処遇を決定する。」
「は。守護者の意のままに。」

俺はウリエラが眠り落ちつくとエアリアル地表の医療施設を出て最下層の居住区に戻る。
途中何人かの門番に会ったが表情は険しく、
俺は彼らに対して全く信用を失ってしまった事を確信した。
自分の部屋に戻ると守護者を呼び出す。
「ガードネット、聞こえるか?」
程なく老人の姿が暗闇に現れる。

「マクセン・エアガルド。どうだ、決心は着いたか?」
「最後にもう1度確認したい。」
「何だ、言ってみるがいい。」
「ロジャー・ランドマークの転写を受け入れた場合、
ウリエラと一緒にしてくれると約束したな?」
「その通り。」
「そして転写が失敗した場合は俺の魂を元の身体に戻してくれる。
成功した場合は俺は此処へ留まって新しい指導者として生まれ変わる。
その場合に置いてはウリエラは一緒に此処に居られるのだな?」

「いや、ウリエラは此処には居られない。エアリアルの社会が受け入れないだろう。」
「何?どう言う事だ!」
「それに付け加えれば創始者の転写が成功してもお前は此処には留まらないのだ。
成功しようと失敗しようとエアリアルでの創始者の復活は
20年後のクローンの成熟を待って行う事になった。」
「何?俺は何の為に転写を受けるのだ?!指導者として此処に残る訳では無いのか?」
「マクセン・エアガルド。これはエアリアルの指導者や長老達には内密の話だ。
お前はウリエラと共に地球へ戻る事になるであろう。」

「俺達は地球へ?」
「そうだ。思い出して欲しい、マクセン・エアガルド。私は地球の守護者だ。
新しい指導者が必要なのはエアリアルだけでは無い。
地球でも新しい指導者が必要なのだ。
南北大戦終了後、スカイダムが孤立し宇宙植民者達がこれからの行く末を案じていた頃。
エアリアルの住民が独自の世界に適応すべく自らの身体に改良を加え始める前の話だ。
一部の宇宙植民者は宇宙に留まる事を放棄し地球へ舞い戻った。
大戦後急激に気温が上がり居住可能になった南極大陸にだ。

エアリアルの住民はその一派の存在を忘れ今に至っている。
彼らは科学技術文明を忘れないうちに地上へ下りる事が出来た。
今の一般のエアリアルの住民に比べれば実用的な技術水準に付いては彼らの方が上だ。
そして他の蛮族とは一切接触する事無く孤立し独自の文明を保存しているのだ。
勿論、彼らは自らの染色体を操作する事はしていない。本来の地球人の2倍体のままだ。
彼らが南極に降り立ったのはエアリアルの住民の染色体を4倍体に変える前の話だからだ。
確かに数百年経った今、残っている技術には限りがある。

今の彼らの文明水準は18世紀頃にまで後退している。
しかし彼らはエアリアルの住民の様に温室育ちでは無い。
厳しい自然に打ち勝ち自らの手で新しい文明を起こす技術を持っている。
技術的にも、社会的指導力の面からも是非強力な指導者が必要なのだ。
彼らの国家の命運、しいては地球の文明復活の危機にも係わっているのだ。
もう分かっているであろうが、そう、
それがロジャー・ランドマークの復活が期待されている理由だ。
彼らの国へ行って彼らを率いて欲しいのだ。」

「待ってくれガードネット。お前が直接彼らを統治すれば良いのでは無いか?」
「いや、南極にはスカイダムの電波は死角と成り届かない。行ってくれるな?」
「分かった。ウリエラと一緒に居られるなら何処へでも行く。
一生ウリエラと過ごせるならば。」
「マクセン・エアガルド。約束しよう。」
俺は再び太陽の柱に登りガードネットに指示された部屋で待機する。
そこはさほど広くなく中央にベッドがあるだけの殺風景な部屋だった。
そしてそのベッドに横たわるのは一体の甲冑だった。

その甲冑を眺めていると老人の姿が部屋の中央に浮かび上がる。
「マクセン・エアガルド決心は付いた様だな。」
「あぁ。その甲冑はなんだ?」
「それを着るのだ。それがお前の身体全体をモニターし、
精神転写装置の出力端末となる。
お前がその甲冑から出る時は変化が訪れているだろう。
それを着て目を瞑るのだ、マクセン・エアガルド。」
甲冑を身に着け目を瞑ると瞼の裏のその暗闇にもガードネットの姿があった。
その老人の姿のガードネットが手を上げる。
「始まりだ。」

光の洪水が暗闇に取って代わり視界は白一色になる。
「うわぁ~!?」
過去の運動中枢の記憶が身体を走り、俺の身体は鞭打つ。
身体の全ての筋肉が伸縮を繰り返し身体にも激痛が走る。
身体を吹き抜ける嵐が止むと続けてあらゆる感覚の記憶が俺の身体を通過する。
それも終わると束の間の静寂の後、思念、映像、音の記憶の爆発が起きる。
俺は成す術も無く身を固くしそれに備える。
鈍い痛みと共に頭の中がどんどん熱くなり俺は気分が悪くなる。

束の間に視覚が戻り、正面に人影が見えて来た。
その眺めは重複し2人の人物がだぶっている。
1人は宇宙服を身に着け、1人は甲冑を身に付けている。
その幻影は直らなかった。
「お前!」
「俺か?」
「既に俺はお前だ。」
「お前が俺?!お前は誰だ?」
「俺はお前だ。」
「馬鹿な、俺は俺だ!」
「お前は俺なのだ。」
俺の感情、自我が頭の中でこだまする。
そして再び光の爆発が起きる。

「気がついたか。マクセン・エアガルド?もしくはロジャー・ランドマーク。」
ガードネットの声が聞こえる。
俺は精神転写を行っていたのだった。
何が起こったか完全に忘れていた。
俺はゆっくりと瞼を開け、ベッドに横たわったまま辺りを見渡す。
頭上に巨大なガードネットの虚像。
ベッドの周りには長老達、保安要員が俺の顔を覗き込む。
指導者が口を開く。
「貴方は…ロジャー・ランドマークですか?」
暫く考えが纏まらない。俺は誰であったのか。
「いや。違うと思う。俺はマクセン・エアガルドだ。」

周りの人々に落胆の空気が漂う。
「失敗だったのか?」と長老達。
「マクセン・エアガルド、お前ははっきりと自分だと言う事が言えるか?」とガードネット。
「あぁ、俺は紛れもなくマクセン・エアガルド本人だ。それは間違いは無い。」
「どうやら、脳内の情報の殆どをロジャー・ランドマークの記憶で埋めた筈なのだが、
肝心のパーソナリティは入れ代わらなかった様だな。」
「守護者よ、では彼の処遇はどうします?我々には彼を受け入れる事は出来ないと思います。」
「指導者よ我々は20年後のクローンに期待しよう。
そして彼には自由を与えてやろうではないか?」

ガードネットの虚像は俺へと向きを換える。
「マクセン・エアガルド、お前の此処での役目は終わった。
約束通りウリエラと共に地球へ戻してやろう。」
「本当か。これで俺は自由なんだな?うっ!」
嬉しさの余り急に起き上がろうとして頭が割れる様に痛む。
「まだ無理をするな。マクセン・エアガルド。
短時間に過度に神経の負担が掛かったのでまだストレスが高い筈だ。
ゆっくり養生をするがよい。」
俺は起こした上体を再びベッドに倒す。
「あぁ、そうする。まだ無理の様だ。」と言い、頭を下ろすとどっと睡魔が襲って来た。



夢を見た。
地平線に朝日が登る。
俺はその日の出に魅せられ日の光へ誘われる様に歩きだす。
すると前方に1人の老人の人影が。
ガードネットだ。
「おい!ガードネット。夢にまで入って来るのは関心しないぞ。」
その老人は俺に充分近付いてから話を始めた。
「マクセン・エアガルド。
グローバル・セキュリティ・ガード・ネット・コンプレックスは現在お前に接触して居ない。
そして私はガードネットでは無い。ロジャー・ランドマークだ。」
「!?」俺は驚きの余り声を失う。

「驚かして済まぬ。気が付かなかったかも知れないが私は確かにお前の中に存在する。
精神転写の際にお前の自我は場所を譲る事はなかった。
それは当然だ。自我にも生存本能があると言う事だ。
よって私はお前の使われて居ない領域である無意識の1部に自我を移した。
それは普段の精神活動では存在を気付かれない場所だ。
只、特殊な場合、意識が退いた時にそれはあらわになる。
そう、今の様に夢を見ている時がそうだ。夢は無意識の精神活動の一種だからな。」

「は!」
俺は恐怖に駆られ目を覚ます。
身体中が汗びっしょりだ。
目の前にガードネットの虚像が浮かんでいた。
「ガードネット?」
「ロジャー・ランドマークに会ったのだな?マクセン・エアガルド。」
「あぁ、その通りだ。彼は存在していた。」
「精神転写を受ける場合、受け側の自我が余程弱い場合を除いて自我はそのまま残る。
元から居る自我は移動する手段を知らないので消されまいと必死に抵抗するからだ。」
「ガードネット。お前はそれを知っていたのだな?それを承知で・・・。」
「如何にも。」
俺は機械に存在する魂、ガードネットの姿を長い間見つめ続けた。

次の日の朝。
俺はウリエラを伴いシャトルに乗る為、エアドッグへ向かった。
これで天界(スカイダム)、エアリアルの住民ともお別れだ。
シャトルに乗る前にエアドッグで見送るアリスク445や高官達に手を振る。
内壁の振動を伝ってガードネットの声が聞こえる。
「マクセン・エアガルド、お別れに私からの贈り物だ。そら、ウリエラ。見せるが良い。」
ウリエラが珍しく頬を紅潮させ手の中の物を俺に見せた。
一本のガラス製の容器だった。
そして微笑むウリエラ。

「マクセン・エアガルド、染色体分裂促進酵素とそれを生み出す酵母を与えよう。
その容器に入った酵母を南極で量産出来る様に努力してくれ。
これから君達に同調するかも知れない天使達の為に。それが残っている酵母の最後なのだ。」
「これがその酵母?では、肝心の染色体分裂促進酵素自体は無いのか?」
突然ウリエラは真っ赤な顔をして俺の手を取り自分の腹部に当てる。
「此処よ。」
「?!」

「マクセン・エアガルド。既に彼女の卵巣にその酵素の入ったカプセルを注入した。
卵巣で彼女の卵細胞は成熟する前に染色体の分裂が促進され2倍体の染色体へと変化する。
そう。それによって地球人の生殖細胞の染色体数と一致するのだ。
この酵素はエアリアルの住民が最後の手段として、地球へ戻る道を残す為に温存して置いた物だ。」
ウリエラは俺に身体を預けてそっと囁く。
「貴方の子供が出来るのよ。」
俺は人前にもかかわらず彼女を抱きしめキスする衝動を抑えられなかった。


※ジェラルド・オニール発案のシリンダー型スペースコロニーは外壁にガラスの窓を使用し
太陽光を取り入れる方法を採用してますが、現在の地球周辺は人工衛星の部品やビス、ボルト等
多量のゴミが軌道上に飛んでおり、ガラスが割れるリスクを考えると外壁を金属で覆う必要があると思います。

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