古代の横断歩道 | 雨 風 呂

古代の横断歩道

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モータリゼーションは産業革命後の事とされていますが
交通システムの基礎は2000年前の古代ローマ帝国で確立しました。
「全ての道はローマへ通じる」と言う言葉通り、
ヨーロッパ、アジア、アフリカの地中海を取り巻く地域を1国として統一後、
現代のアメリカ国道の総延長距離に匹敵する道路網を築きました。
それは同時に海賊の絶滅やシルクロードの発達にも貢献します。

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古代ローマの道路は石畳の下に共同溝として下水道、給水管が同時に作られました。
中央には馬車の通る車道を、一段高い所に歩道を作りました。
車道を横切る時は歩道の高さに合わせた横断歩道を渡ります。
そこで問題になるのは馬車の車輪の幅です。
ローマ帝国は国内の馬車の車輪幅を統一しました。
それで馬車は横断歩道の石の間の同じ轍を通る様になるのです。
ヨーロッパではローマ帝国崩壊後も馬車の規格は残り、
後に道路の消耗を抑える為、轍に板を轢いたり鉄板を並べたりしました。
イギリスの産業革命以降も馬車の轍の幅で機関車が作られ、
古代ローマ帝国の馬車の車輪幅と同じ1435mmが現代の新幹線のレール幅となりました。

古代ローマにおける駅馬車制度は現在の鉄道交通システムの基礎となっていて、
各街には馬車駅があり、郵便や旅行客を結ぶ交通の要でした。
駅ビルは4、5階建ての旅行客を泊めるホテルの様な物でした。
(駅ビル=マンシオーネ:マンションの語源)
そのうち西側世界の首都ローマは繁栄と共に交通渋滞もひどくなり、
大きな交差点では兵士が交通整理をしていました。
それでもローマ市内はひどい渋滞が解消しなかったので
最終的には日中の都心部への馬車の乗り入れは禁止となりました。
歩行者天国も古代からあったのです。

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