ヒーローとは孤独な者
2011年03月13日(日)の日記、「ニュージーランドの教訓 +被災者の皆様」では
ニュージーランド地震の教訓が活かされなかった事に注目しました。
東日本大震災において、日本の殆どの地域で過去の教訓が活かされなかった中、
今回は地域と住民の存亡をかけて闘った指導者に付いて紹介したいと思います。
明治の教訓、15m堤防・水門が村守る
防潮堤が機能して被害を受けなかった岩手県太田名部地区。
津波で壊滅的な被害を受けた三陸沿岸の中で、
岩手県北部にある普代(ふだい)村を高さ15メートルを超える防潮堤と水門が守った。
【高さ15・5メートル、全長155メートル】
計画時に「高すぎる」と批判を浴びたが、当時の村長が「15メートル以上」と譲らなかった。
「明治に15メートルの波が来た」という言い伝えが、村長の頭から離れなかったのだという。
村は1896年の明治三陸津波と1933年の昭和三陸津波で計439人の犠牲者を出した。
今回の岩手県全体で死者・行方不明者は8000人を超えた。
が、普代村内での死者数はゼロ。 (2011年4月3日 読売新聞より抜粋)
★全国の自治体の土木課、建築課は自然災害等に充分な対策がなされている地域以外で
津波、断層、土砂崩れ等のハザードマップに載っている地域に居住を目的とする住宅建設の建築許可を出さないで欲しいですね。
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村を救った15mの防潮堤・秘話



