西日本ジェイアールバス 園福線廃止~18 | 菅沼天虎の紙屑談義

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交通機関を利用する為の切符・・・一般の方々にとっては使い終わってしまえばタダの紙屑で、最後は係員に渡して終わりになるモノです。
そんな紙屑に夢中になってしまった大馬鹿モノの戯言にお付き合い下されば幸いです。

西日本ジェイアールバス「園福線」廃止の18回目です。

 

昭和55年11月に、福知山駅の鉄道窓口で発行されました金額式乗車券です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鉄道区間用と全く同じ様式の券となります。

 

昭和55年11月当時の鉄道区間の初乗り運賃は「100円」だったのですが、国鉄バスでは鉄道区間の初乗り運賃以下の運賃の金額式乗車券の設備がある例が多く、当時の国鉄バスでも小児運賃で「10円」で乗れる区間は無かったと思いますが、福知山駅には「10円区間」の金額式乗車券も設備されておりました。


国鉄バス区間用の金額式乗車券は、鉄道区間の金額式乗車券とは発売方と使用方が異なっており、鉄道区間では原則として乗車券は1人に対して1枚で、例えば300円の区間を乗車する場合に150円区間の乗車券2枚では、支払った運賃は同額でも同時に使用する事は不可で、1枚は重複購入として払い戻しの取扱いとなりますが、国鉄バスの場合は150円区間の金額式乗車券2枚で300円区間に乗車する事が可能で、このような例は民営バスの乗車券でも見られます。

 

つまり、例えば福知山から国鉄バスの110円区間を乗車する場合、「100円区間」と「10円区間」の2枚の金額式乗車券を発売し、2枚の乗車券を同時に使用して110円区間に乗車する事が可能であり、乗車する区間に応じて複数枚の券を組み合わせて発売するために、初乗り運賃以下の金額式乗車券が設備されておりました。

 

各運賃の券とも、小児断片の下部に記載された数字は小児運賃を表わしており、「10円区間」、「20円区間」、「30円区間」の小児断片には何れも「10」と記載してあり、当時は既に小児運賃でも「5円」の端数はありませんので、「10円区間」の小児断片を切断して発売しても発売額は「10円」でした。

 

当時の国鉄バス区間用の金額式乗車券で、小児断片が設けられていた例は大阪印刷(近畿地方自動車局)と新潟印刷(信越地方自動車部)ぐらいで、他の印刷場の国鉄バス区間用の金額式乗車券は鉄道区間用とは様式が違い、小児断片が設けられておりませんので、鉄道区間用と全く同じ様式にもかかわらず、初乗り運賃以下の運賃の券が存在する大阪印刷の券は特異に感じられます。

 

 

 

 

 

当時の福知山駅の鉄道窓口には、「10円区間」から10円刻みで金額式乗車券が設備されており、「100円区間」以上は何種類の金額式乗車券が設備されていたのかは不明ですが、「1000円区間」の金額式乗車券の設備がありました。

 

 

昭和55年4月20日の国鉄運賃改訂による制度改訂で、鉄道区間は近郊区間相互発着を除いて100kmまで「発売当日限り有効」で「下車前途無効」となり、この時点で90km~100km帯の運賃は「1080円」で4ケタの運賃となっていたのですが、当時は51km~100km帯の乗車券は原則として一般式、相互式、矢印式の着駅表記となっており、運賃が4ケタとなる金額式乗車券はバス区間用のみで、鉄道区間用は存在していなかったかも知れません。

 

幹線運賃と地方交通線運賃が分けられた昭和59年4月20日の国鉄運賃改訂以降は、51km~100km帯の乗車券にも金額式乗車券が用いられる事が多くなり、運賃が4ケタとなる金額式乗車券も通常に見られるようになりましたが、この運賃改訂以降に登場した大阪印刷調製の運賃が4ケタとなる金額式乗車券は、数字が横幅の狭いフォントの活字となりましたので、今回ご紹介いたしました「1000円区間」の券とは見た目が若干異なっています。