京橋駅発行 きたぐに 急行券 B寝台券 | 菅沼天虎の紙屑談義

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交通機関を利用する為の切符・・・一般の方々にとっては使い終わってしまえばタダの紙屑で、最後は係員に渡して終わりになるモノです。
そんな紙屑に夢中になってしまった大馬鹿モノの戯言にお付き合い下されば幸いです。

昭和52年10月に大阪環状線京橋駅で発行されました、「きたぐに」の急行券 B寝台券です。

 

 

大阪印刷調製の準常備式の券で、乗車駅の「大阪」は印刷となっています。

 

当時は昭和50年3月の山陽新幹線岡山~博多間開業により、山陽本線、九州方面へのB寝台車を連結した普通急行列車が大幅に廃止されたものの、この券で発行されている北陸本線新潟方面の「きたぐに号」の他に、東海道本線東京方面の「銀河号」、山陰本線出雲市方面の「だいせん号」が運転されておりましたので、大阪乗車の急行券・B寝台券の発売需要は多かったものと推察され、京橋駅には「大阪」が印刷された券が設備されていたものと思われます。

 

この券の急行料金のキロ帯は「200kmまで」と「201km以上」の2地帯のみで、「100kmまで」のキロ帯の断線は設けられておりませんが、「100kmまで」の区間でB寝台車を利用する旅客は皆無に近いためと考えられます。

 

当時の「きたぐに号」のB寝台車は大阪~新潟間で連結されておりましたが、この券の下車駅は「富山」となっており、「きたぐに号」の富山着は早朝の4時16分で、大阪発は券面記載の通り22時10分でしたから、6時間程の短時間の利用だった事になり、当時は大阪23時15分発で富山着5時50分の急行「立山3号」も運転されておりましたが、「立山3号」は座席車のみでしたので、短時間の利用でもB寝台車の利用を選んだのでしょうか?