英語を勉強するとは?:実用性は追い求めない? | みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

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アメリカオレゴン州、ワシントン州にある学習塾巣鴨アドバンススクール(www.sugamoadvance.com)で日々子供達と奮闘中です。

英語を勉強する。これはアメリカに来たら当たり前のこととされています。でも本当にそうなのでしょうか。勉強する必要があるのでしょうか。

 

最近、youtubeにてこんな動画を見つけました。

 

 

 

これをみて、私は「あ、翻訳こんにゃくだ」と思いました。

 

まだ手元にはなく使ってもいないので、なんとも言えませんが、これが今後どんどん進化して、翻訳の精度も上がり、スピードも上がったら、本当にドラえもんの翻訳こんにゃくのようになったら、言語を学ぶ意味というのが変わって来るのではないでしょうか。

 

まず実用的だから英語を学ぶ、ということがなくなって来ます。

 

昔、乗馬は実用的なものでした。しかし今は趣味となっています。

昔、狩は実用的なものでした。しかし今は趣味ですね。

習字もおそらく実用的なものでしたが、今は趣味の領域に入って来ています。

日常生活においては字を書くことさえ、少なくなっています。

 

英語を学ぶことや日本語を学ぶことは今は実用的ですが、今後もそれが続くのか。なんだか色々なことを考えさせられます。本当に訳のわからない世の中になって来ました。

 

よく子供達にこれを学んでなんの意味があるの?と聞かれますが、勉強も乗馬や狩や習字のように趣味の領域になって行くのかもしれません。