先日、生徒たちと会話をしていて
私が英検一級を持っているという話が浮上。
(前にも同じようなネタありです 参考:心の充実度)
生徒A「先生、一級持ってるんですよね!スゴイですね!」
私「え?そ、そうかな。」(何故か動揺する私)
生徒B「一級ですか、すごい!」
私「スゴイ、スゴイ言われると、本当にすごい気がしてきたよ」
でもね、英検一級取った時、正直何も嬉しさは無かったんだよね。」
生徒A「えぇ、どうしてですか?」
私「うーん、アメリカの大学院卒業した後に、英検を何となく受けて、何となく合格しただけだからね。むしろ、落ちたら恥ずかしいなってくらいの気持ちだったからね。」
生徒B「先生、嫌みにしか聞こえません!」
私「まぁねぇ、人によっては嫌みにしか聞こえないんだろうけれど。
でもね、富士山の頂上にヘリコプターで行ってみる景色と
頑張って登山して見る景色と
同じ景色に見えると思う?」
生徒B「はい、同じ景色です!」
私「う、うん、そりゃ、同じ景色だよ。確かに。( ゚ ▽ ゚ ;)
生徒B「でも、感じ方は違うと思います!(・ω・)/」
私「そう、先生が言いたかったのは、そういうことなんだよ。
って大人をからかうのはやめなさい!Σ\( ̄ー ̄;)」
生徒AB「ふふふ」
私「先生にとっては、大学院卒業のほうばかり意識して勉強していたから、英検合格はおまけみたいなものだったんだ。だから合格しても何も嬉しくないし、むしろ虚しいだけだったかな。」
というわけで、英検一級、持っていると生徒たちから羨ましがられますけど
でも、努力して努力して獲得した物と
何となく受けて何となく獲得した物とでは
その本人の感じ方が違います。
もちろん、私も大学院卒業のために、努力努力の日々でしたが。。。
ついでで受けた英検一級、合格しても何も嬉しくありませんでした。
でも、日本のどこかで、何度も何度も挑戦して、悔しい思いをたくさんして
やっと合格した人もいたと思います。
その人は、体の中から感じる充実感でいっぱいだったことでしょう。
今の時代、いかに楽をして、いかに最短距離で
英検取得だったり、合格だったり、そういうことが重視されがちですが
でも、結果までのプロセスの中にこそ
本当に人が欲している「充実感」が存在するのだと思います。