ブログ5年目突入を記念して:ちょっと真面目な教育話 | みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

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アメリカオレゴン州、ワシントン州にある学習塾巣鴨アドバンススクール(www.sugamoadvance.com)で日々子供達と奮闘中です。

すみません。月曜日に書くと言っておきながら

水曜日になってしまいました(汗)

でも気を取り直して。



このブログもついに5年目を迎えました。

全ては読者の皆さんのおかげです。

色々な方の叱咤激励をもらいつつ

心新たに、今後ともブログを書いて行く決意です。

色々と力不足ではあるかと思いますが

あたたかい目で見守っていただければ嬉しいです。


さて、題名が「ちょっと真面目な教育話」ということですが

私なりに改めて教育について

書き連ねて行こうと思います。


教育者として一番大事な事

それは、生徒を意識する、ということです。

生徒を意識して初めて、生徒が必要としていること、彼らの内なる声が聞こえてきます。


意識するとは一体どういう事か。

例えば、甘酸っぱい初恋のことを皆さんは覚えていますでしょうか。

例えその子が隣の教室にいたとしても

教室の窓から見える校庭でその子が体育の授業を受けていたとしても

その子の声だけが聞こえてくるものです。

なぜなら、その子のことを意識しているからです。


他の例で言えば、母親は赤ちゃんの内なる声を聞く事ができます。

お腹がすいているのか、おむつを替えるべきなのか、眠いだけなのか。

お母さんは赤ちゃんを四六時中意識しています。

だからこそ、適切に赤ちゃんの声に対応できるのです。


逆に意識していなければ、遠い教室にいる子の声など聞き分けられるはずはありませんし

赤ちゃんが何を訴えているのかを知ることは皆無です。

また、意識をしないということは

相手が目の前に居るとしても

存在していないのと同じことになります。


例えば、ご主人がテレビを見ていて

奥さんの事を意識していなければ

ご主人にとっては、奥さんは存在しないのと同じです。

だからこそ、奥さんが何を語りかけても上の空になるのです。


意識をするかしないか

方や内なる声を聞き、方や居ても存在しないことと同じになってしまう。

その差は歴然としています。


そして、昨今の教育現場において

生徒を意識せずに教育者をしている人の多いこと。

生徒を意識するのではなく

自分がどう見られているかを考えている教育者。

生徒の心配をするのではなく

カリキュラムを遂行することばかり考えている教育者。

彼らの意識の中に、生徒は存在しません。


意識されないということは

生徒は先生の期待に応えよう

先生を信頼しよう

という成長の動機を失ってしまうのです。


生徒を成長させるもの

それは先生の生徒に対する意識。

私は塾業界に居る者として

この業界が進んでいる方向を憂慮するものです。

折り込み広告などを見ると

それが顕著なのですが

どこどこの有名進学校に何名合格した、だの

偏差値をいくつ上げた、だの

それは生徒の成長の本の一部でしかありません。


それ以上に

生徒たちが喜んで学ぶ姿勢であったり

先生の期待に応えようとする姿勢

そちらの方が、大事なことではないでしょうか。


私は保護者の方にもこのことは強く訴えたいのですが

子どもたちを成績表や偏差値

または合格した学校名で判断しないでもらいたい。

保護者の方々もそういった数値を重視する塾の風潮に加担しているのです。


そんなものは生徒の一部しか表現していません。

数値を意識するのではなく

生徒を意識する。

そうすることで

子どもたちもお母さんの暖かい心に癒され

もっと学ぼう、期待に応えようという姿勢になっていくのです。


遠回りなようですが

子どもの尻をたたくのではなく

子どもを意識する。


これこそ、世の中全ての大人に求められていることなのです。

長くなりましたが

私自身、今後とも更に生徒たちを意識できる大人として

邁進して行く次第です。


*オレゴンの最近の天候に合わせたデザインにしました。