英検についての考察:英検の勉強の仕方 | みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

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アメリカオレゴン州、ワシントン州にある学習塾巣鴨アドバンススクール(www.sugamoadvance.com)で日々子供達と奮闘中です。

私は高校生の頃

こんな風に思っていました。

英検一級さえ持っていれば

企業から引く手あまたで

将来は安心だ、と。


もちろん、高校生だからこそ持てる短絡的な考え方ですが

ただ、ここまで単純でないとしても

日本ではいまだに英検を崇拝する雰囲気があるのでは、と思っています。


今日は英検について私の思うことを羅列したいと思います。



大学入試や高校入試において優遇される英検ですが

英検2級までは、うまく英語力を測っていると思います。

しかし、英検準1級以降は

これは覚える必要がないだろう、という単語が増えてき

どれだけ英語力を測れているのか疑問に思います。

ちなみに、英検のホームページには

レベルの目安として

英検準1級は「大学中級」、英検1級は「大学上級レベル」となっていますが

私はこの指標の信憑性はきわめて低いと思っています。



私はアメリカの大学・大学院と卒業しましたが

それでも大学院を卒業した後に受けた英検1級の試験では

単語セクションが3割合っていたかどうかだったと記憶しています。

ちなみに単語セクションは四択の選択問題であり

確率から見れば

適当に選んでも25%は正解できます。

つまり3割と言ってもほとんどまぐれ、ということになります。

(それでも他の問題をほぼ正解していたために、合格でした。
つまり単語セクションだけ難易度が高く、他のセクションとのバランスが均等でないということでもあります。)


この結果が示唆することは以下の2点です。

1、私の単語力が異常に低かった

2、英検1級が測ろうとしている単語力は、アメリカの大学院を卒業した者でも難しい単語の問題となっている


というわけで

仮に私の単語力が貧弱だったとしても(笑)

アメリカの大学院を卒業できる者が、3割程度しか正解できない単語問題

そんな英検一級合格を目指す勉強はお勧めしません。

単語以外のセクションの読解セクションでしたら、多少は役に立つと思います。

読んでいてためになる文献も多いので。
(小学生にとっては内容的に理解が難しいでしょうが)

ただ、英検合格を目指して勉強する、という勉強の仕方は

英検2級、または英検準1級までで十分でしょう。



次に、英検の勉強の仕方の悪い例として

一つの級を合格したから、次の級を勉強する、というものがあります。

これは何がいけないか、というと

例えば、2級を合格したとしても

その正解率が70%なのか、98%なのかによって

全く実力は違ってきます。

次の級の勉強を開始するのであれば

まずは合格した級の正解率を95%程度まで確保してから

次の級の勉強を開始したほうが、効率は良くなります。



それと毎回

英検が発表する合格率ですが

準1級も1級も合格率が10%程度です。

これはあまりにも記念受験が多いからではないでしょうか。

非常に無駄なお金だと思います。

ちなみに1級は7500円であり、準1級は6000円です。
(2009年4月時点)

私は高校生のときに英検2級を合格してから

すぐに英検準1級を3回も受けて18000円を捨ててしまいました。



そんな私のようなミスをしないためにも

今は、英検のホームページ から過去問題なども簡単に手に入りますので

その過去問題で70%程度の正答率が得られないのであれば、受検は控えるべきです。

そんなお金があるのであれば

特に英検2級以上の資格を持っている方は

TOEICなりTOEFLなり

英検とは違った点数方式の資格を受けるか

英語力アップのために

洋書や洋画のDVD鑑賞などにお金を使うべきです。




以上私が英検について思っていることを羅列してみました。

1、英検1級合格を目指す勉強(特に単語セクション)は非効率的である

2、受検する級をあげるときは、合格した級の正答率が95%程度になってから

3、英検を記念受験するよりは、TOEICやTOEFLを受けるか、洋書や洋画のDVDなどを購入するべき



世界共通言語である英語を駆使できることは

これからのグローバル社会において

必要とされることであり

今の子どもたちの世代では

最低限必要なこととなるでしょう。


しかし、「英検1級」という資格は

社会にでれば何の役にも立たない、ということを実感しています。

(英検一級保持者が言うので、間違いありません! 笑)



英検一級よりも

論理的に思考しているか

自分の意見を持っているか

人とコミュニケーションできるか

そして

何のために生きているのか、という確たる哲学を持っているか

と言うことの方が、数十倍も社会人としても人間としても大事なことだからです。