生徒がいて初めて成り立つ仕事:教職 | みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

アメリカオレゴン州、ワシントン州にある学習塾巣鴨アドバンススクール(www.sugamoadvance.com)で日々子供達と奮闘中です。

こんにちは。

アメリカオレゴン州は、昨晩は大変冷え込みました。

猛暑が続いた日本から夏用のパジャマを持ってきたのですが、どうやら必要なさそうです・・・泣




このブログも始めてから既に4ヶ月が経ちました。

時が過ぎるのはあっという間なのだと、定番ですが思ってしまいます。


実は、ここだけの話ですが、日本に滞在中、ブログを書くことが思っていた以上に大変でした。

なぜなのかと考えた結果、その理由は、目の前に生徒がいないことだからなのだと気づきました。



教師というのは、生徒に教えているようで、実は教わっていることが大半です。

生徒がいて、こちらも、こうしてみよう、ああしてみよう、と試行錯誤することができるのです。

生徒がいて、先生も存在できます。

この世に生徒がいなければ、先生なんか必要ありませんからね。


つまり、生徒が「本」で、先生が「末」ということになります。主役は生徒です。

しかし、最近の教育現場では、この本末が逆になっていることが見受けられます。

先生が生徒よりも偉いのだ、と勘違いしてしまっている先生の多いこと。

これを「本末転倒」と言います。

主役はあくまで生徒です。

それをサポートしていくのが先生なのです。

これは、医者に関しても、政治家に関してもいえることです。

本となるのは、患者であり民衆です。

医者と政治家は、患者と民衆がいて初めて成り立つ仕事だからです。


昨日は大変眠い中での授業でしたが、生徒が元気いっぱいですと、こちらも眠気が吹き飛んでしまいました。

これで時差ぼけも乗り越えられそうです (笑)