教師の力量とは何をもって測られるのか。
私は、この業界に入る前、優秀な教師ほど上のクラスを教えるものだと思っていました。
確かにその分野のことを教えるためには、相当な知識をもっていないといけません。
英語や数学に関しても、トップクラスを教えるためには、力が必要です。
しかし、いざ偏差値60以上のクラスの子たちと接すると、こちらが説明するまでもなく、理解し前に進んでいくことが分かりました。
つまり、偏差値60レベルの子には、サポートというよりも、調整役になれる先生が必要になります。
あと何分でこれをやってください。
はい、残り何分。それは、こうやって解けばできます、というように。
教師にある程度の説明ができれば、子供たち同士で切磋琢磨して、進んでいきます。
これが、大手進学塾が利用する手です。
優秀な子たちを集め、新人社員を教育する場にする。
反対に、偏差値50レベルの生徒はどうでしょうか?
調整役では不十分です。わかる楽しさを伝えられる先生でないといけません。
動機付けから始まり、ちょっとしたテクニックを教え、やる気が失われない程度の宿題量を課していかなければなりません。
そして、偏差値30レベルの生徒はどうかと言うと
やる気を完全に失い、授業をきかない生徒が多い。
その場合は、授業の大半は、勉強に関係のない話を持っていきます。
まずは、”先生の話を聞いておくと得をする”ということを実感させないといけません。
そうすると、授業を聞くようになります。
そして、聞くようになると、宿題ができるようになります。
いえ正確には、先生の話を聞いているとできるようになる宿題をあえて選んで出します。
そうすることで、先生の授業は聞く価値がある、聞いていれば宿題はできるようになる。
宿題ができるようになると、勉強する楽しさが分かるようになってきます。
もちろん、この流れはかなり簡略化されていますので、実際は思ったとおりには行きません。
どこまでも、生徒を信じぬくことが教師として要求されます。
このように、実は偏差値が下がれば下がるほど、教師に課せられることが増えていきます。
単純に教科の楽しさを伝えるだけではいけなくなるのです。
つまり、本当に優秀な先生ほど、レベルが下の生徒までも、うまく勉強させることが可能なのです。
そして、このブログで何度も伝えていることですが、教師として何よりも大事なこと、それは生徒の可能性を信じる、ということだと思っています。
この生徒はこんなものだ、この生徒の力はせめてこのくらいだろう、そう思っていれば、生徒はそのようになっていきます。
生徒は、こちらが期待した分、信じた分しか成長しません。
優秀な先生というのは、トップクラスの子たちを指導できるだけでなく、どこまでも生徒の可能性を信じ、応援し、励ます先生だと思っています。
お母様、お父様、お子様の可能性を信じていますか?
つい、“うちの子は、こういうものだ、せいぜいこんなもんだろう”と可能性を決め付けていませんか?
“うちの子だって、がんばればハーバードだっていける力は秘めている”こう信じられるようになれば、お子様もその期待にこたえるようになるかと思います。
子供が見せ付ける現実が勝るか、親の期待が勝るか、そこは親の見せ所かと思います。