【小説】運び | シュガー・ドラゴンのブログ

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 娘が出ていく前、わたしはとっておきの言葉の運びを教えてあげた。女の人をイカらせるための言葉づかいだ。お前の役に立つかどうかはわからない、だってお前たちはそのせいで出ていくんだからな、だが父さんがお前に用意してやれる嫁入り道具はこれくらいしかないんだ。そうわたしは言った。娘には、言わんとすることは伝わった。たぶん餞別とか食費とか、そんなことを言えばよかったのだろう、嫁に出すわけでもなし。運びはぜんぶで十二通りあった。わたしはそれを娘の目の前で、漫談みたいに実演してみせた。それはおもに、言葉を運ぶ速度と力のいれ具合のさまざまな組み合わせだった。意外なくらい、派手な飾りの少ない運びだった。わたしはこれをどさ回りをしているときにマスターしたのだ。速度と角度を急に変える。あるいは言葉の運びを止め、一拍ためたあと、すっと素早く責め立てる──わたしはそれを〝なじり〟と呼んでいた。娘は何度もメモを取りたいと言ったけど、わたしは鼻で笑った。お前、いざっていうときにメモを出すのか。それより覚えるんだ、わたしはそう言って、娘の上面を乾いた言葉で何度もなじった。なんだか稽古をつけてもらっているみたいな気分だった。わたしの言葉の運びはおどろくほど自信に満ちていた。わたしひとりでは、とてもこんなに自信たっぷりと、この言葉の運びをできそうになかった。こうすれば女の人をうんと笑わせてあげられる、と娘は言った。でもわたしは誰かをうんと笑わせたことなんか一度もなかったから、そういう場面になったら娘にもいっしょにいてもらわないと無理だと思った。でもそのころにはもう娘は出ていってしまっているだろうし、どっちみち相手の女の人はピンになってるだろうから、わたしに責められるのはいやだろう。わたしは独りでこの言葉の運びをやらなくちゃいけない。いつ六番めと七番めの運びをやればいいか、自分で決めないといけない。お客さんは、一拍のためでちゃんとしっかり高ぶってくれるだろうか。そしてそのあとの一気呵成の〝なじり〟で、はじけてくれるだろうか。それを見きわめるには、しっかり耳をすます必要がある。息づかいだけじゃない、と娘は言った。瞼の奥のひとみのあたりがこう、うっすら涙ぐんでくるの。その涙が秘密の合図。いま干物みたいに乾いていたと思ったら、次の瞬間には──墨田川が洪水よ!迷っているヒマなんかない、ぐずぐずしてると船は行ってしまう。飛び乗って、とにかく運ぶのよ、前へ、前へ、前へ。
 朝、目をさまして、気持ちを前向きにしようとするたびに、わたしは娘の言ったことを思い出して、とても心強い気分になる。いつか娘も誰か大切な人と出会って子を生んで、そうしたら、娘に教わったことをわたしもその子に教えようと思う。迷ってるヒマなんかない。運ぶんだ。前へ、前へ、前へ。


(終)『動き(ミランダ・ジュライ)』を読んで