渡邉知樹のぺぺぺ
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2020510

2020.5.10.

思考停止せずに、とにかく各々がより良い社会を作ろうと思考すべき
とは思っているのだけど

かといってなんでもかんでもコミットし続けようとするのも違う
特に話題性が高いとなにか意思表明したくなるのだけど

政治であれ社会問題であれ、それについて思考することを諦めることが大事、なこともあるのではないか

(ごく個人的なメモとして)

202055

2020年5月5日

4月中も寒い日が続いて、最近ようやく暖かくなってきた。
天気が良い日は家の前の公園にたくさんの人が集まる。鬼ごっこする子供。2人掛けのベンチに4人で座ってなにかを話している大人たち。
多くの公園は遊具が使えない状態になってるけれど、ここの公園は遊具も解放されているので、すべり台もブランコも、たくさんの子どもたちが遊んでいる。

最寄りの駅前も以前と変わらぬ、いや、もしかしたら春の陽気にこれまでの緊張感が失われて、今まで以上の賑わいを見せているかもしれない。


「緊急事態宣言」と、この現実。なにも収束する気配のないまま、とりあえずの延長。
今、この現実のなかで「ステイホーム、ソーシャルディスタンス」などと大きな言葉を使い続けることにどのような意義があるのか。

もはや「祈りの呪文」にしかなっていないのではないだろうか。

(素朴なメディア批判として。)

2020430

2020.4.30.

「コロナウイルスの潜伏期間が2週間」という提言が出されてしばらくして、「潜伏期間2週間を過ぎても(約1ヶ月経った後も )感染する」という事例が報告された。

また、野外でマスクして2メートル離れていれば基本的にウイルスの飛沫感染は防げる、と政府やメディアが伝えていたもの(いわゆるソーシャルディスタンス )が、歩いている場合は5メートル、走っている時は10メートル以上離れなければ感染する可能性がある、という科学的な説も出てきた。
また、マスクをしていれば、市販の簡易マスクのようなものでも、コロナウイルス自体が体内に入っては来るものの、感染する量には至らない、という学者の見解もある。

エビデンスはともかく、まだまだコロナウイルスの感染に関しての情報は更新されていて、確定的な情報として受け取れるようなものは思ったよりも少ないのかもしれない。


「限りなく0リスクを求める人」の中でも、感染しないために靴の裏を消毒する人がいれば、スーパーで買ったものや郵便物やお金、携帯を消毒する人、洗濯物を外で干さない人もいる。買い物はすべて宅配で済ませて、家から1歩も出ないようにする人もいる。

またそのような人たちの、感染の警戒度が低い人への思いも様々だ。自分の水準くらいまで警戒していない人を「軽率な人たち」と見下すような人も多い。
例えばスーパーで2メートル以内に入ってくる人や、くしゃみする人を敵対視する人もいる。さらには県外ナンバーを見つけて通報したり車を破壊させる人がいれば、自粛せずに開けたままの店を通報したりガラスを割ったりする人もいる。



東京都大田区から岩手県花巻市に引っ越しを決めていた72歳の男性が、引っ越し予定だったマンションの住人にコロナウイルス感染の恐れがあることから引っ越しを止められ、市からも転入届の提出を待ってほしいと言われ、どうにか知人が花巻市の別の場所に部屋を用意して、そこに住むことになった。しかし3日後に家が火事になって、その方は亡くなってしまった。

コロナ感染が命の問題であるといって、それを警戒し過ぎるあまりに、本来住むことが出来るはずの住居に住めず、結果的に人が亡くなってしまった。


コロナ感染をきっかにしたこのような痛ましい事件がこれ以上起きないために、ひとりひとりが出来ることもあるのではないかと思う。


2020425

2020年4月25日

毎日Twitterを見ている。Twitterがすばらしいのは基本的に個人が個人の責任で発信しているところだ。
コロナ禍の中で一層、感情的だったり細分化された言葉が溢れて、その人の今まで知らなかった部分が垣間見えて、それがとにかく面白い。

自粛しろ!家を出るな!という人がいるかと思えば、三密なんか気にしないわよ!パチンコ屋に行ってなにが悪い!という人がいる。
お互いがお互いの気持ちを後押しして、分断は深まるばかり。同じ考え方の人は繋がり、対岸の人は離れるばかり。より強固に。

この分断を「ほぐす」ために出来ることを考える。
グレーゾーンに目を向ける。





2020420


2020年4月20日

最近は毎日2.3人の友達に電話をかけるのをなんとなく日課にしている。
コロナ禍の日々をどのように過ごしているのか、ということももちろん気になるけど、ただ声が聞きたかったり、ただただ下らない話をしたり、オススメの映画や音楽を聞いたり、特にこれといった理由もなく電話する。
こんな時だから昼間に電話すると結構みんな電話に出てくれて、そのまま1、2時間ダラダラと話すこともザラである。いい迷惑だ、と思っていた友人もいたかもしれないけど、必ずみんな最後に「電話してくれてありがとう」と言ってくれるので、きっと、そういうことなんだと思う。

こういう時は政府や誰かの意見、行動へのクリティカルな批判ではなくて、どんな人にもネガティブな印象を与えないような「広い丸い言葉」でまったりと話すことも、改めて大切だなと思う。(基本的に苦手だし。 )
ある程度仲が良くても、こういう時に突然極端な思想を強く持つ人も多くて、いつもの調子で話すとお互いトゲが刺さりすぎることもある。
特にぼくは思想や哲学なんかをプロで扱っているわけではないし、社会に対してならまだしも、個人レベルで傷だらけになって泥仕合する価値も感じない。

そしてそういう言葉とは別に、しっかりと考えていることはそれはそれで深めて、もしくはただの記録として、こういったブログなんかで残しておきたいと思った。

有事の際に記録しておくことはとても大事だと思う。一人称での、受け継がれないようなささいなことは特に。
大げさに言えば、ポストコロナ時代と、更なるパンデミックに立ち向かうべく。

( とはいえ飽き性だし文才も無いので、すぐに終わるかもしれない)



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