クロアチアでのレースが終わった。

イーストウインドはメンバーのケガにより、途中棄権となった。

 

ケガやアクシデントによる棄権はスポーツの大会中にはよくあることだ。
世界最速のウサイン・ボルト選手だってレース中に肉離れを起こしたし、フィギュアスケートの羽生結弦選手だって演技中に大コケした。

どんなに練習を重ねた選手だって本番に何が起きるかはわからない。

増してや未知の場所で行われるアドベンチャーレースには、どんな事が待ち受けているか想像すらできないこともある。

そう思えば、今回のケガは、大事に至らなかったことだけでも幸いなのかもしれない。

 

 

 この事実は何を意味するのか

 

ところが選手はそうはいかない。

「何もなくて良かった」では終わらせられない。

何が原因だったのか、どこに端を発していたのか、防ぐことはできたのか、今後はどうすべきなのか・・・

考えること、協議することは山ほどある。

逆に言うと、こういった経験は必ず次へのバネになる。

この経験を無駄にするもしないも、当人たちの受け止め方次第ではあるが。

 

『事実というものは存在しない 存在するのは解釈だけである』
(ニーチェ)

 

 

 自分ではコントロールできない環境にいるからこそ人は成長する

 

「なぜアドベンチャーレースを続けるのか?」

この問いに田中正人はこう答える。

「アドベンチャーレースは自分を成長させてくれるから」

 

不眠不休で何日間も動き続ける。

天候に左右される。

競技は多種目のため、苦手な種目や嫌いな種目もやらなければならない。

メンバーは自分の思い通りにならない。

更には自分の辛さを解ってくれない。

それがアドベンチャーレースである。

 

自分の事だけを考える方が気楽だ。

好きなことだけやっている方が楽しい。

気の向く日だけにお出掛けする方が気持ちがいい。

しかしそれでは完走どころか、レースが成立しない。

 

おそらく一般社会もそうだろう。

自分の事だけを考える方が気楽だ。

好きなことだけやっている方が楽しい。

気の向く日だけにお出掛けする方が気持ちがいい。

しかしそれでは、利益を出すどころか、破綻を招く。

無難に終わらせるどころか、問題点だけが炙り出される。

 

 

苦手なことをやる。

それは自分自身への挑戦でもある。

 

ただし、それは一人ではない。

一人ではできなくても、チームだとできる事がある。

 

それにはまず自分がチームメンバー(相手)を信頼することが必須となる。

そしてチームメンバー(相手)を絶対に助ける!という確固たる想いが必須である。

 

それでもうまく行かないことはある。

今回のようなアクシデントだって起きる。

だからこそ、今回のアクシデントをただの不運で片付けずに、次に繋げるための糧として欲しい。

 

アドベンチャーレースは、都度、自分に足りない部分を教えてくれる。

体力や技術だけはなく、数値で測れない部分や自分の内面で欠落している部分。

できれば見たくない部分だが、そこを嫌でも突きつけられるのがアドベンチャーレースなのだ。

 

「なぜアドベンチャーレースを続けるのか?」

この問いに田中正人はこう答える。

「アドベンチャーレースは自分を成長させてくれるから」

 

さて、私はどんな成長をしているのだろう。
耳の痛いこと、面倒なこと、わかっちゃいるけど止められないことは自分の都合いいように解釈しているように思う。

 

そんなことを考えながらも、「外見だけは十分に成長しちゃってんのになぁ」と自己反省をする一日である。