ここ数日、政治家の裏金話が巷で大流行。

折しも今年の世相を表す漢字が『税』。

どうやら令和5年はカネで幕を閉じるようだ。

 

カネまみれになっている政治家の先生たちの中にも、最初は地域を、ニッポンを、世界を良くしようという志をもって選挙に立った人もいたはず。

それが長い間いると、色々な圧力で心がねじ曲がり、志が何であったのか、政治家になって何がしたかったのか、何を変えようとしたのかが分からなくなり、やがて選挙で勝つことのみが目的となり、そのためにはカネが必要となり…

(あくまでも私の勝手な想像です。)

 

 

  勉強する目的、働く目的

 

でも、もしこの想像があたっていたとすれば?
私たちの生活にも通じるのでは?という、またもや個人的で下世話な想像が沸いてくる。

 

「将来の夢を持て」という学校。
かく言う学校も、夢ではなく、テストの点数で子どもたちの居場所を決める。

テストや運動の点数ですべてを評価する。

結果重視。

個性や人格や個々の志など、どうでもいい。

 

振り回されるのは子どもばかりではなく、親もしかり。

だから時々、親は子どもを成績で測る。

 

〇〇ちゃんより成績がいいとか悪いとか。

〇〇くんより足が速いとか遅いとか。

〇〇さんより絵がうまいとか下手とか。

我が子と周囲の子を比較する。

 

当然、子どもたちは将来の夢など持てず、少しでも成績をあげて親や先生に褒められることに集中する。

 

それではむしろ「かっこいい車に乗ること」「ブランドの服を着ること」「とにかく何か起業して金持ちになること」などなど、夢が、ただの見栄になってしまう可能性だってある。

 

大人になって就職しても、それは続く。

 

最初は志高く、やりがいある仕事に憧れた。

しかし、いざ働いてみると希望していた仕事内容とは異なった。

小さなミスで叱られたり、嫌味を言われたり。

同期が昇給昇進し、自分だけが取り残される。

 

結果がでない。

焦る。

叱られる。

恥ずかしい。

どうしたらいいんだろう。

こんなはずじゃなかった。

 

そうなると、もはややりたかったことはどうでもよく、同期に勝つこと、上司に認められることが働く目的となる。

「自分はこんなにやってるのに、どうして評価されないのか」

同期の昇進と会社への恨みをごっちゃにする。

 

 

働くということは、同期と戦うことじゃない。

働く目的は、人々がより豊かに生活するため、健康に生きるため、みんなが笑顔になるため・・・それぞれの会社にそれぞれの目的があるはず。

 

しかし長い間働いているうちに、そんな志ある目標が、いつしか目先の上司や同期に勝つことに集中する。

 

 

 

  志を見直す年へ

 

母親は自分のすべてを懸けて出産する。

産まれたばかり我が子の顔を見ながら、高学歴や社会的成功や富や名声を願っただろうか?

 

中にはいるかもしれないが、多くは「何よりこの子が健やかで、優しい子に育ちますように」と願ったはず。

 

おそらくキックバックにほくそえむ政治家の先生たちも、産まれたばかりの時はきっとお母さんもお父さんも同じことを願っただろうと思う。

 

偉い人にならなくていい。

政治家じゃなくてもいい。

大企業の大社長じゃなくてもいい。

モデルみたいなビジュアルがなくてもいい。

世間で評価されなくてもいい。


ただひたすらに、誰かの役に立つための仕事に、誰かが喜んでくれるための仕事に、誰かを元気にするための仕事に、真面目に取り組むあなたは、うんとカッコ良くて、キックバックの政治家なんかよりよっぽど掛け替えのない人なのです。

そんなあなたを家族は誇りに思っています。

 

 

さて、まもなく令和6年がやってくる。

新しい年を迎える時、グダグダになっている今の自分の、本来の志が何だったのかを思い出してみようと思う。